日
19
9月
2010
「勇気をもらう」が嫌いなんです
TLに「勇気をもらった」というフレーズが続いたので、
twitterでごちゃごちゃ言った後、
『勇気をもらった』とかそういう類のやつが嫌いだということです」
と書いたら、多くの方に「わかる」と声をかけてもらい、
もう一方では直後5,6人からリムーブされるという経験をしました。
5,6人の方が不快感をもってリムーブしたんだとしたら、
その背後にはもっと大勢の不快感をもった人もいることでしょう。
で、なんで僕が「そういう類のやつ」が嫌いかを考えてみたわけですが、
やっぱり安易だからだと思うんですよ。
感動とか勇気とか、そういう感情を言葉にする場合には、
僕はこころの中をひっかきまわしていろいろ考えますし、
結構苦しい思いをするんですよね。
(どこに心を動かされたのか)とか
(自分にとってどんな意味があるのか)とか
(どんな表現がふさわしいのか)とか...
でもそれを手垢にまみれたフレーズで表現されると、
「お前、本当に感動したのか・・・」と思ってしまうわけです。
たとえば「×××さんがこんなことをして勇気をもらった」と言われると、
・その勇気は誰のものですか?
・もらわなければ手に入らなかったんですか?
・もらったということは×××さんの元の勇気は?
・本当にそれは勇気なのですか?
・勇気をもって何をするのですか?
などなど、まあ、我ながら揚げ足取りかと思えるほど、
いろんな疑問が頭をよぎります。
たしかに便利なフレーズだと思うんです。
でも、何の思考も葛藤もなく、
ただ「感動をありがとう」「勇気、もらったよ」っていう
ありふれた言葉を使うだけでは
単なる自己顕示にしかならないのではないですかね。
ちょっと理屈っぽいし、面倒くさいけど、
考えない人間だけが適当に自己を顕示して、
周囲の評価をもらっていこうとする様子が
ちょっと今日的な風潮を象徴しているような感じがして
くどくどと考えてみました。
コメント: 3
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#1
安藤さま
初めまして 埼玉県入間市にて写真スタジオひろせの広瀬欣也と申します。
わたしも「勇気をもらう」とか「感動を与えたい」とか「応援よろしくおねがいします」などのフレーズにつねづね違和感を覚えていたのですが、なぜなのか、あまり自問自答にいたところ、貴方さまの文章に出会い、すっかり胸のつかえがとれました。
ありがとうございました。 -
#2
広瀬さま
はじめまして。コメントありがとうございました。
少しでもすっきりにお役に立ったのなら幸いです。
webサイト拝見いたしました。
花の写真はシンプルでいながら美しくて、森の写真は神秘的で素敵ですね。あとカメラバッグに入った猫が可愛らしかったです! -
#3
おっしゃるとおりです。最近ではNHKでも普通に使っていますので我々の思いとは裏腹にすっかり日本に定着してしまっています。なんと情けないことでしょう。どうしたら、こんなばかげたことを防げるでしょうか。

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