2009年

6月

15日

日本の報道はどこへ行く?

この1、2ヶ月、取材でお話をうかがった企業の方々からテレビや一般紙の取材に対する愚痴を聞くことが増えた気がします。不満を感じられている方は、偏った視点で記事をまとめられるとか、事実からかけ離れたまとめ方をされるとか、そんな思いでいらっしゃる様子です。
その一方で、「専門誌紙の方は分かってくださっているのですが・・・」とのコメントもいただきました。でも、それって解釈の仕方によっては専門誌紙が企業におもねった記事を書いている、取材される側が納得できる記事を書いている、ということになるかもしれません。

・一般紙、テレビ(大メディア)は結論ありきで企画をまとめ、アリバイづくりの取材しかしない
・専門誌紙(小メディア)は企業の意向に沿った記事しかまとめられない

上記のように仮定してみると、いずれも広告に依存した報道スタイルの限界が浮かび上がってきます。
大メディアの方々は、購読数(視聴率)を維持するために、一般人の興味をひく形、極端に言えばスキャンダラスな形でしか記事をまとめられなくなっていると考えられます。記者会見で「ゆるやかな連携だ」と語っているのに「将来の経営統合へ向けた布石だ」とあおってみたり、株主総会での委任状争奪戦を楽しんでみたり。
「派手な見出しがつくなら、何でもいいよ。小難しい話は、読者(視聴者)がついてこないからNGね。俺らが報じれば、それが真実になるんだから」。
そんな雰囲気が彼らからは漂っています。

一方で小さなメディアからは、重要な情報リソースであり、ときに広告主となる企業に対して強い姿勢に出られない様子も見てとれます。一部の業界紙では、記者クラブに配信される記事だけで紙面のお茶を濁し、あとは提灯記事ばかり。そんな姿勢もないとは言えません。小さな業界紙誌にとって、虎の尾を踏む記事はかなり危険です。

しかし本来、報道は他者の縛りから自由でなければならないものです(←理想論)。地道な取材を重ねることで真実を積み重ね、勇気をもって記事にすること。あるいは重要なテーマであれば、地味な話題でもじっくりと腰を据えた記事で分析することが重要なはずです。それが広告主や取材先にばかり気を使って、大メディアも小メディアも、本来伝えるべきことを伝えていないのは大きな問題でしょう。

今日の広告に依存した報道の体制が続く限り、取材相手が怒るか喜ぶか、そのどちらかしか記事にならなさそうな気がしてきました。かといって、取材ルートを持たないネット上の一市民(媒体社に頼らなければ、私もその一人)が、真実に迫る報道を実現できるかといえば、なかなか難しいのも現実です。
今後、メディアのあり方やニュースの広がり方は、どのように変わっていくのでしょうか。現在のネット上では、あくまでも一般紙のサイトが報じて初めて信憑性が担保されるという風潮があります。個々人が、現代社会とは比較にならないほどの取材力を身につけ、個人ジャーナリズムが花開くのか。それとも、このまま、ダラダラと広告依存型ジャーナリズムに身を任せていかなければならないのか。
報道の行く先は、なかなか不透明です。