情報量に負けるな

1950年代のスウェーデンが舞台になっている「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」。そのラストでは、海を越えてボクシング世界戦のラジオ生中継に耳を傾け、スウェーデン人のイングマル・ヨハンソンの勝利に沸き立つ場面が描かれています。
年に幾度も無い海の向こうからダイレクトに伝わる生情報。映像もなく、音声だけとはいえ、ボクシングが好きな人もそうでもない人も、きっとその即時性に夢中になったことでしょう。

一方、半世紀を経た未来に暮らす私たちは、あちこちから飛び込んでくる生情報にさらされて生きています。今日のサッカーの試合はもちろん、サイクルロード レースやラグビーといった、あまり人気のないスポーツも、海外で起きた事件も、うれしいニュースも、ビジネスの情報も。手を伸ばせば届くところに、ありと あらゆる情報があふれています。かつてラジオにかじりついた人々には信じられないことでしょうが、通信技術の発達は、生情報の取捨選択を私たちに迫るよう になりました。

そんな中、昨日今日とtwitter上では、非常に今日的な情報流通が話題になりました。イランでは大統領選の結果に抗議するグループが電話やe- mailの検閲を逃れるために、twitter上で情報を交換し、日本国内では民主党の逢坂誠二衆議院議員が、今日の党首討論を感想を交えつつ、国会内か ら(テレビ中継を見ながら)中継していました。
今後、生情報はさらに圧倒的なボリュームになって、私たちの生活に入り込んでくるでしょう。今は取捨選択できる情報も、いずれ洪水のように私たちの部屋に 浸水してくるかもしれません(たとえば、壁にダイレクトにニュースフラッシュが流れつづけるとか、どこからか音声ニュースが聞こえてくるとか)。

圧倒的な生情報にさらされた私たちはどうなるのでしょうか。頭の処理限界を越え、思考を停止し、聞こえ(見映え)の良いニュースにだけ身を預けるようにな るのか、それとも多様な情報に対し、深遠な思考を注ぎ込む能力を技術の発達とともに身につけるのか。もし大半の人が、前者のたとえのごとく、思考を停止し たとしたら…。
上滑りな人柄でもtweet能力の高さで民衆の人気を勝ち得た首相が誕生し、少しずつ少しずつ、自分の思うように世論を操って行く。そんなことも、小説の中のお話だけではなくなってきているのかも知れません。

生の情報は魅力的です。通信技術の発達は、イランの抑圧されている人々にとって、大きな武器になっています。twitterはじめ、生情報流通は、我々の生活を一変させるに十分な破壊力をもっています。
そんな中で、我々がやらなければならないのは、思考し続けることです。数分の音の悪いラジオ中継に夢中になった半世紀前の人々とは違い、私たちには自分で 考えるための道具がそろっています。情報量の増大がもう引き返すことのできない道ならば、これからは頭の情報処理能力を鍛え、思考する訓練をしていかなけ ればならないのではないでしょうか。

面白い・楽しい・興味深い情報に目を奪われてばかりではなく、同時にどれだけ頭を動かし続けられるか。時代は人間の限界に戦いを挑んでいるのかもしれません。