一言で分かった気にならない。でも分かってもらう。

人は一言でまとめてしまうと分かったような気になるから不思議なものです。昨日のエントリーに記した「おじさん世代」だったり、食べ物だったら「おいしい」(最近のグルメレポーターは何を食べても「甘みがありますねぇ」)とか、行政への批判なら「無駄遣い」とか。


ワンフレーズ表現には、誤解や無理解を生み出すリスクがあふれていることはよく知られています。それを意識的に利用して国民的な人気を獲得したのが小泉純 一郎氏ですし、テレビ屋さんや新聞の整理部(記事の大きさを決め、見出しを考える部署)も視聴者・読者の「分かったつもり」を引き出すために、わざとワン フレーズを活用しているようです。
もちろんキャッチーな一言によって、人々の興味を喚起することは大きな意味を持ちます。政治だけじゃなくて、スポーツだって、音楽だって、食べ物だって。 みんなが、ある一言をきっかけに、いろいろな文化に興味をもつことは悪いことではないでしょう。でもワンフレーズによって、書き手・作り手までもが「分 かったつもり」になって思考を止めてしまうならば、それは思考の怠慢に他ならないでしょう。

私も仕事で原稿を書いていて、「こうまとめちゃえば良いよね」と思うことは少なくありません。字数の問題もあるし、記事のテイストの問題もあります。説明 過多になって、グダグダになったらいけない(このブログみたい!)。そんな原稿のはライターの仕事とは言えません。ただし「分かったつもり」でワンフレー ズを使い、誤解を呼んでしまえば、それはクライアントや読者への裏切りになるから要注意です。
私たちが、一言を切り札として使うためには、頭を使えるだけ使い、知恵を絞って絞って、もう何もでないのに…というところから、さらにひと絞りするところ まで、知恵を絞ってまとめなければ、納得できる一言は生まれてきません。(←自分がやれているかどうかは、一旦、棚に上げさせてください…)

書き手は安易にワンフレーズに納得することなく、しかし読者には一目で分かりやすい文章であること。一見、矛盾するかのようで、けっして矛盾はしない。け れども、ひどく難易度の高い行為が文章を書く上では求められます。本当に大変だけど、少なくとも前者の「安易にワンフレーズで納得しない」という部分は、 日頃からトレーニングできますよね。
それにばっかり夢中になっていると、「理屈っぽい」って周囲から引かれることになりますけど(笑)。