「勝間和代さんが香山リカさんに反論」と、@mainichijpedit がつぶやいていたので、
「『勝間さん、努力で幸せになれますか』の読み方 勝間さんに聞く」という記事を読んでみました。
(記事はこちら)
しかし、そこで僕の目にうつったのは「反論」でもなんでもなく、信じられない傲慢な強者の論理だけでした。
僕が考える努力とは
サッカーが上手くなりたい。
お金をもっと稼げるようになりたい。
人脈を広げたい。
きれいな人と結婚したい。
将来は一国一城の主に・・・
人生の数だけ、この世に目標や夢はあるわけです。日本の子どもにも、アメリカの大人にも、アフリカの女の子にも、ヨーロッパの男の子にも。誰にだって、何かしらの想いがあるでしょう。
もしかしたら一人に一つの目標じゃないかもしれない。だとすれば、人生の何倍もの数の目標や夢が地球には満ちています。
そして、そんな目標や夢に向かって、道を懸命に歩むことが努力なんだと僕は思うわけです。
で、当然「努力は嘘をつかない」なんていうのは大嘘で、努力しても努力しても、目標に近づくことができない。ツライ現実に打ちのめされることも僕は知っています。
あるいは、社会的な不利を被っていたり、自由になるお金がなかったり、さらにはさまざまな事情で人並みの努力をすることが許されない人だっているわけです。
努力した方が楽しい?
それでも勝間和代さんは
「私自身は努力至上主義ではないんですが」
と断(り、香山さんの本を笑)った上で、
「大多数の人は努力した方が幸せになる確率が上がる」
と言い切ります。
しかし僕は間違っても、努力すれば「大多数の人」が幸せになれるなんて思えません。幸せの尺度なんて人それぞれだし、努力の道筋も人の数だけ(それ以上)ある。
そして、ほとんどの人は、歩いても歩いても目的地が遠ざかってしまう道、さらには歩くことさえままならない道に囲まれていて、いっそ歩くことを止めてしまった方が良いのではないか。心が安らがないまでも、今まで以上のストレスを抱え込むことがなくなって、幸せに近づけるのではないかと、思うわけです。
でも彼女は、僕のような人間をバサッと切り捨て、
「私は、努力しようかどうか迷っている人たちに対して、努力したほうが楽しいよ、努力することは長い目で見れば幸せだよということを説明したいんです」
といいます。努力こそが幸せに至る唯一の道だと。
貧乏人は夢など見るな
彼女の目には、努力すればするほど打ちひしがれる人のことなんかうつっていないのでしょう。あまりにも僕と考えていることが違いすぎます。まるで別の星の人のようです。
もしかすると、幸せというものの意味が、僕とは決定的に違うのかも知れません。
だって
「実際、お金がないことが原因で起きている不幸も多いのではないでしょうか、残念なことに。それについては率直に認めたほうがいい」
と言っているぐらいですから、
金さえありゃあ幸せだろ
っていうことなんでしょう。
<金さえありゃあ幸せ>が言い過ぎだとしても、お金があれば最低限の幸せはクリアできるよね、現状と比べて相対的な幸せは得られるよねということでしょうか。
とすれば、勝間さんの言う努力というのは、(生活に余裕を生むための)金を得ることだと読み取ることができます。
貧乏人は夢など見るな。まず金を稼げ。夢なんか見たって幸せにはなれないだろ
そう、彼女は言っているのです。
そして、金をかせぐための努力の方法は
「くたびれるような努力ではなく、方法論は自分で考えてほしい。他人の丸コピーは上手な努力と言えないです」
要するに、
てめーで考えろ
と。
そして返す刀で、
「努力がどうしても嫌いな人や、人生がうまくいってない人……正確に言えばうまくいってないと思いこんでいる人は、香山さんの方に共感すると思います。努力しようがすまいが自分の人生は変わらない、と思っている人は、「それでいいんだ」と言われたいでしょう。そういう人には、勝間和代の本はノイズになる。せっかく「がんばらない」ことで心の平安を得ているのに、「やればできる」なんて言われたくない。もちろん、何を選ぶかは、人それぞれですが」
貧乏が好きな奴は香山リカの本を読んで傷をなめあっていればいいさ
とも言っているわけです。
努力至上主義でしょ
勝間さんの言っていることは、「私は頑張ったんだから、お前らも頑張って金を稼げ」ということです。「頑張らない奴は、勝手にやすらぐ〜とか言ってればいいじゃん」と。
もう一度、確認しておきましょう。勝間さんは、最初に
「私自身は努力至上主義ではないんですが」
と、断っています。
・・・・・・・・・?
幸せになりたければ、努力しろ。努力して金を稼げ。そうすれば今よりは幸せだろ、とは言っているけれど、
「努力至上主義ではない」のです。
意味が分かりません・・・。
僕の目には勝間和代さんという人は、金を稼いだ人間が後出しじゃんけんと強烈な上から目線で、「私は努力したんだから、あんたらも努力したらいいじゃん」と言っているだけにしか見えません。
そういえば、
「でも、勝ってる人たちというのは、たいがい、いい人だと思いますよ。(中略)たまに威張ってる人もいるけど、すぐに消えていくものです」
ともおっしゃってますね。
どうぞ、すぐに消えていかないように。そして、いつまでもいい人でいるように、努力しつづけてください。
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山本晴美 (金曜日, 15 1月 2010 09:29)
記事のアップ、ありがとうございます。共感、同感です。スッキリしました。数年来の私の中の勝間さん問題は、これにてクローズです。(いや、これからも考えてしまうのか)。勝間さんへのモヤモヤした思いは、銀紙に包んで静かに鴨川に流してこようと思います。これ以上書いたら(たとえばあの衣装はヒドいとか、記者さんがおもねりすぎだとか)、悪口になりそうなのでこれにて送信いたします。
最後に。勝間さんの本を読むなら自分が使えるところだけ参考にすればいい。でも自らを『カツマー』と称し信奉する今の空気。そして、香山さんの本や主張を「反勝間」と単純化する今の空気に違和感や危惧感を覚えます。努力したって全てが報われるわけではないことを、みなさん恐れているのかな。虚しいと思っているのかな。こういう気持ちを埋めあって、それでもまたがんばろうと思えるように、友人や家族やお酒やお茶やスポーツや・・・があるんだと思うのですけどね。
安藤 (金曜日, 15 1月 2010 12:37)
コメント、ありがとうございます。
荷物を軽くするお手伝いができたみたいで、うれしいです。
「カツマー」とくくることも「反勝間」とくくることも、危ういですよね。
問題は集団じゃなくて、個人にあることに気をつけていなくちゃいけないと、僕も思います。
そして、お金がなくてもないなりに、好きなことを楽しめる人間でいたいなと思ってます。
鴨川に流したモヤモヤはいつか、海の底に深く消えてしまうといいですね。