魅力的な解説へのハードル

オリンピック楽しいですね。

もう少しで終わってしまうのが本当にさみしい。

いつまでもいつまでも、いろんな競技を味わっていたいと思うんですけど、

期限があるからこそ楽しいのが祭というもの。

 

口惜しいけれど、残りの時間を楽しみつつ、

今回は、そのオリンピックの中で今回も人気を集めているカーリング、

中でも、その解説者の小林宏さんに関して、少し書いてみたいと思います。

解説者は大変

僕はスポーツを言葉にすることはすごくむずかしいと思うんです。

まして生中継の中で、言葉のプロではない解説者が瞬発的に選手の身体表現を

言葉に置き換えていく作業は、並大抵の難しさではないだろうと思うんです。

 

バンクーバーオリンピックもそうだし、日頃のサッカー中継やラグビー中継、

野球に大相撲、とにかくプロの解説者は大変だなと思うわけです。

もちろん大変ですよねと敬意を払いつつも、

嫌いな解説者はたくさんいるんですけど....。

 

 

で、解説者といえば、

オリンピックのカーリング中継で解説をしている小林宏さんの評判が良いですね。

カーリングへの愛情にあふれていて、日本の対戦相手への敬意も忘れない。

かと思いきや、勝負どころでは、ついつい絶叫してしまう人間くささもある。

twitterや2chを見てると、カーリング人気は小林人気かと思えるほどで

僕も本当に大好きです。

カーリングの解説と他競技の解説

ただ気になったのは、小林さんをほめる文脈で、

「サッカーの解説者なんかダメだよね」という言説がいくつか見られたこと。

なので、twitter上で

「カーリングの小林さんの解説は分かりやすいし愛にあふれていて本当に素晴らしいけど、戦略の可視性が異常に高い競技で、しかもプレーが止まってる時間が豊富で喋りやすいっていうことを抜きにして、いたずらに他競技の解説をおとしめるのはおかしいと思うよ」

と、tweetしたわけです。

 

そうしたら、後日、サポティスタ岡田康宏さんの

「カーリングの解説は興奮気味なのになぜ不快に感じないのか?」

という記事で上記のtweetをご紹介いただき、ビックリ。

せっかくなので、ここは、

その記事に対する返信とさせていただきたいなと思います。

(ここまで前置き。まだまだ長いよ)

他競技だってできるんじゃない? というご指摘

僕が上に紹介したtweetで言いたかったのは、箇条書きにすると以下のようなことです。

・カーリングはストーンの配置と動きによって戦略が僕ら素人にも想像しやすいので、

 他の競技と比べて戦略の可視性が異常に高い。

・投石と投石の合間に結構な時間があるので、上記の戦略について語る時間が豊富である

・かような特殊な状況なのだから、いくら小林さんが素晴らしいからといって、

 それと比較して、他競技の解説者をおとしめるのはおかしいと思う

 

これに対し、岡田さんは

では、このような解説が他の競技では無理かというと、そんなことはない。例えば、1997年に熊本で開催されたハンドボール世界選手権では、開催国日本と強豪フランスが大接戦を繰り広げたが、この試合の解説者は、日本代表の大健闘に興奮しながらも、どこで誰がマークを外し、どう動いてシュートコースを作ったかなど、初心者にも分かりやすい丁寧な解説を行っていた。いや、そもそも初期のJリーグ中継では、金田喜稔氏などが、やはりそうした解説を行っていたはずだ。

と、指摘されています。

たしかに面白い解説はたくさんある

たしかに。

97年のハンドボール世界選手権は僕もおぼえています。

たしか日本がベスト8に入った大会で、みんなが、9メートルだとか6メートルだとか、

にわかハンドボール通になって盛り上がっていた記憶があります。

 

Jリーグ初期の金田さんは、たしかどこかで

「選手がプロになった以上、自分はプロの解説者になる。

 そのために分かりやすい解説をしていく」

というようなことをおっしゃっていましたね(出典は思い出せませんけど)。

まだ、オフサイドのルールすら、一般に浸透していない時期に、

少しでもサッカーファンを増やそうと、ルール、見所、選手の特徴なんかを

分かりやすく解説されようとしていたのをおぼえています。

 

このハンドボールや金田さんの例をみれば、

カーリングのような特殊なスポーツじゃなくても

魅力的な解説は可能だよということが分かります。

 

本当、岡田さんのおっしゃるとおりだと思います。

サッカーだって、ハンドボールだって、ほかにも野球だってなんだって

魅力的な解説は可能なんです。

だからこそ、「小林さんに比べて、サッカーの解説なんかダメだ」的言説の

言わんとしていることも分かる気はします。

面白い解説には前提が必要

ただ同時に、解説が魅力的になるためには、いくつか前提があるとも思うのです。

今回の論旨とは関係ない部分ですけど、

たとえば解説者の人柄や声質なんかもそうですよね。

 

選手の欠点やミスを暗くこもっただみ声で90分間指摘されつづければ、

見ている方の気分も沈むというものです。

それは間違いなく、ダメ解説。

自分のひいきチームの試合がそんな解説者にあたった日には、

音声消して見ちゃうよっていう話です。

 

魅力的な解説が生まれるには、そうした属人的な要素のほかに、

もっと社会的な前提があるようにも思います。

それは、視聴者側の大衆知とのバランス。

カーリングも、前述のハンドボールも、

初期Jリーグも見る側の競技知識が浅い分だけ、

ルールや簡易な戦略・戦術の説明だけで、

ある程度の満足を引き出すことが可能なのではないでしょうか。

 

比較的容易に視聴者満足を引き出せれば、

冒頭に書いた選手の身体表現の言語化という

もっとも高いハードルにトライする必要もないわけです。

高いハードルにトライできないが故の、

絶叫や愚痴も口にする必要がないわけです。

カーリングにおける戦略性の見やすさと時間

その後、一般化しなかったハンドボールはともかく、

サッカーのような一般的なスポーツは、

すでにルールが広く一般に浸透しています。

いわば視聴者(サカオタ)の大衆知が極度に高まっている状況です。

 

そこで初心者に分かりやすくていねいな解説を行っても面白くない。

ならば、深い戦術解説や選手の身体表現の言語化を解説者が実現しない限り、

魅力的な解説者にはなりづらいのです。でも、それはすごくすごく難しい。

 

一方、カーリングは、仮にルールがある程度浸透したとしても、

赤と黄色のストーンが戦況を見せてくれるので、

プレーの合間にゆっくりと時間をかけて、石の配置を見ながら

深い戦略・戦術を語ることが可能です。

瞬発的に選手のプレーを言葉に変える必要が少ないために、

視聴者の大衆知が向上したとしても、

挑むハードルがサッカーほど高くないのです。

 

もちろんストーンを投げる際の身体表現のすごさなども

言及してほしいところですが、

それ以外にも語りやすいところがたくさんあるわけで、

視聴者満足を導きやすいように思います。

 

というようなこともあって、

僕は、小林さんの素晴らしさをもって、サッカー解説者をおとしめるのは

おかしいんじゃないかなと感じたのです。

 

要は、サッカー解説の方が求められるレベルが高くて

大変なんじゃないってことなのかな。

なら、一行で良かった気が........。

 

あ、あと何度も言いますけど、僕も小林さんの解説は僕も大好きです!

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コメント: 1
  • #1

    Derek (日曜日, 22 7月 2012 16:27)

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