2010年

12月

28日

努力は結果に結びつくという嘘

人の努力の割合に応じて(境遇に)差が生じるのは当たり前です。

と、勝間和代さんが「勝間対談『もっと“格差”が必要です』」という記事でおっしゃっています。

 

本当にそう思っているのでしょうか。

 

 

 「日本はもっと格差があったほうがいい」という話も出ました。人の努力の割合に応じて差が生じるのは当たり前です。それまで否定するからおかしくなってくる。機会平等の保障は必要だけど、結果平等を保障するのは違います。もちろん、今の日本は結果平等を保障しているわけではないので、結果は人の努力によって変わるのですが、うまく結果を出した人をみんなで叩くというよくない風潮がありますね。

「勝間対談『もっと“格差”が必要です』」より引用

 

 

この部分を読んで、おかしいなぁ、納得いかないなぁと僕は思うのです。人は努力だけで結果に結びつかないことを僕は知っています。優れたアウトプットを生みだし、金銭的な「結果」を得るためには才能と運に恵まれなければならない。努力しただけで結果はついてきません。

「結果は人の努力によって変わる」のではありません。才能と運によって変わるのです。

 

上図のそれぞれのエリアには下のような人が当てはまります。

 

A:才能にも運にも恵まれた人

B:才能はないけど運に恵まれた人

C:才能はあるのに運に恵まれない人

D:才能も運もない人

 

スポーツライティングの世界で例えれば、

名のある書き手の中で、文章力の豊かな方が「A」

選手と知り合いだ、過去に偶然ヒット作を出しただけな方が「B」

書き手の夢は諦め、1ファンとしてスポーツ観戦を楽しむ「C」

ちょっとブログとかも書いてみるスポーツ好き「D」

という感じでしょうか。

 

 

世の大半の方がCorDに所属するわけですが、スポーツライティングで身を立てるために努力するというのであれば、皆、少しでもY軸方向に上昇できるように、スポーツに対する表現力や観戦眼の向上などに「努力」するでしょう。でも、そんな努力は普通、「A」に近づくという結果には結びつきません。多少、右側へと移りやすくはなるでしょうが、左半分から抜け出せないという結果は努力では変わらないのです。

 

一方でたまたま、たとえば選手と知り合いで独占インタビュー記事を書く機会があった、新メディアの記者募集に採用され発表の機会を与えられたなど、何かの折にスポーツメディアに入り込み、そこで居場所を確保しさえすれば「B」のエリアで業を営んでいくことができます。もちろん、その運を獲得するために、それぞれ人脈拡大や記者募集に応募するなどの「努力」はしていることと思います。もちろん縦軸方向に上昇する努力もしていることと思います。

僕は別に「B」にいる人たちがズルしてるとも楽してるとは言いません。ただ、僕が言いたいのは、彼らの努力が横軸方向の推進力に結びついているのは「運」だということです。

 

僕が昔、憧れていた(いや、今でも憧れてます)というだけの理由で、スポーツライティングの世界を例に考えましたが、これは一般のビジネスパーソンの世界でも変わらないのではないでしょうか。

上司に認められた

大きな成約が取れた

新卒採用の多い時代に生まれた

迷った末に入社を止めた会社がつぶれた

............

 

金銭的な結果を得ている人は運のいい人なんです。そこに僕らの「努力」はどれだけ関係しているというのでしょうか。「努力」にはきっと2種類あるのでしょう。一つは縦軸方向に技量をみがく「努力」。僕がすぐに想像する努力はこちら。もう一つは横軸方向に運を呼び込むための「努力」です。

 

想像するに、冒頭の勝間和代さんの「人の努力の割合に応じて差が生じるのは当たり前です。」という文章は(私は努力している人を見捨てていませんよ)というエクスキューズを表現するために「努力」という言葉をあえて用いているのだと思います。でも「努力の割合で差が生じる」のではありません。差が生じるのは「運の割合」によってです。今のまま「結果は人の努力によって変わる」社会を築いたら、皆が「D」から「B」を目指す横軸の努力をすることでしょう。そんな国に、どれだけの未来があるというのでしょうか。

 

僕は努力した人が報われる社会というのはあり得ないと思います。努力したって「D」から「C」へ上がっていくことがままならない人は大勢います。大切なのは「C」に生きる人々が正当に評価される社会を築くこと。そして、「自分は『C』へ上がることもままならない」と感じたら、次のフィールドへすぐにトライする。何歳になっても、男も女も関係なく、新しいフィールドへ移ることができ、挑戦しつづけられることではないでしょうか。

 

もちろん「D」でありつづける人のために、勝間さんがおっしゃるようなベーシック・インカムが整備されていることも重要です。でも、「努力が結果に結びつく」なんていう欺瞞をいつまでも抱えていることは、かなわぬ願いに身を縛られつづけるだけで不幸なことです。

人が能力によって正しく評価される社会になること。そして、そこから運をできる限り排除するために、年齢や性別による差別がなくなり、さまざまな分野に何度でも挑戦可能な社会であること。それが、僕の思い描く、努力が尊ばれる社会です。

 

 

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