2011年

2月

12日

縁を選ぶ人々

昨日と今日もNHKで「無縁社会」の放送があったそうで。

そういえば今年に入ってから朝日新聞が「孤族」なんていう、流行語狙いの後追い企画をやってたりもしますが、現代社会には孤独な人が増えてるのでしょうか。

現代に生きる僕は現代のことしか分からないので、孤独な人が増えているのかどうkは正直分かりません。

 

もし現代社会に「無縁」が増えてるんだとしたら、それは縁を選ぶ「選縁」な人たちから拒絶されることに対する防御装置としての「無縁」が増えているんじゃないかと思うんですよね。それは、「選縁」の副産物としての「無縁」と言ってもいいかもしれません。

 

防御装置としての「無縁」(「選縁」の副産物としての「無縁」)というのは、「どうせ後から傷つけられるぐらいなら最初から縁など求めません」ということです。

 

少し僕の話をします。

 

僕は見た目にもパッとしませんし、仕事ができる雰囲気もお金を持っている雰囲気もありません。話が上手いわけでも、笑顔がかわいいわけでもない。なので、仕事関係のパーティーやネット上で知り合った人の集まりに行っても、華もなく、誰かと会話をしたところで相手のうんざり感をひしひしと感じてしまうわけです。

 

でも、それでも、気力を振り絞ってその場をにこやかに乗り切ったとしてもですよ、後からメールをしたり、twitterで話しかけたりしても相手の反応の薄いこと! 以前など、実際にお会いした方に"dare?"っていうリストに一人だけ入れられてましたからね(笑)。

 

幸い、僕は比較的心がタフなので、そういう目にあっても、人と会うことを止めようとは思いませんけれど、「そんな目にあうぐらいなら、出かけなくてもいいや」って思う人はいても不思議ありませんよね。

 

 

僕らは誰かと出会うたびに、メリットやら旨味やら面白みやら著名性やら...。そんなものばっかり求めてはいないでしょうか。それが、防御装置としての無縁を呼んでいるのではと思うわけです。

 

ん、NHKや朝日新聞のいう「無縁(孤族)」ってのは、看取りの人がいないって話だけなのかな・・・。

でも自分が死んだら誰が看取ってくれたかは分からないわけで、それよりも今をどうつながって生きていくかの方が大事じゃないですかね。