予定調和に落としこむメディア

ジャーナリストの佐々木俊尚さんが、 週刊誌記者の取材で心が汚されたとお話しになっています。

http://japan.cnet.com/blog/sasaki/2009/05/26/entry_27022642/

 

記者が自らシナリオを用意し、取材対象者に責任を添加しながら、記事を予定調和に落としこんでいく。佐々木さんが記されているそうした過程は、同じ業界の末端で細々と生きている私にも、厳しく胸に響いてきます。

 

私の場合は、書店やコンビニに並ぶような大きなメディアで仕事をすることはほとんどありませんが、業界誌などのメディアで仕事をする際にも、上記のようなシナリオを用意することは正直、あると思います。

 

ただ取材対象者に敬意を抱いていれば、絶対に誘導尋問でゆがんだ答えを導き、予定調和に落としこむということはできないのではないかと思います。

私の場合、取材結果が思い描いたシナリオに合致しない結果となれば、泣きながら、新しい構成を考えるでしょう。そして、甘ったるいシナリオしか作れなかったこと、思うようなインタビューができなかった自分の力の無さを嘆くでしょう。

しかし、思うようにならなかったインタビューであっても、それを切り捨てて、別の取材対象で記事をつくるということは決してしません。そんなの、忙しい中、取材に応えてくれた方に失礼です。事実をゆがめて伝えることにもなってしまいます。

 

先日、コンビニエンスストアの機能を組み込んだ、ドラッグストアの開店を取材に行きました。私が事前に想像していたよりも、ずっと考え、計算つくされたお店で、私はその驚きのまま、素直に記事を書きました。そのドラッグストア企業が、どれだけ工夫をこらしているのか、今後はどんな課題が待ち受けているだろうか、そんな内容です。

しかし同じ日にテレビで放映されたニュース、翌日の新聞で報道された内容は、私が現地で見た素晴らしいお店とはまったく違う内容でした。それは改正薬事法施行をビジネスチャンスとして活かすために、コンビニがドラッグストアを利用して、登録販売者を育成し、医薬品販売のノウハウを集めるという、コンビニ・ドラッグの主客がすっかり逆転した報道でした。

 

また、別の日。石川遼プロが全米オープンの予選会に参加した日のこと。共同記者会見で聞いたコメントとは意味合いの違うコメントが、翌日の紙面を飾っていました。

 

大きな大きなメディアで活躍する皆さんは、広告主の意向やタイトな制作時間など、私には想像できないようなシビアな環境で仕事をしていることでしょう。しかし、だからといってインタビュイーに不愉快な思いをさせてまで、記事を作っていいということはないはずです。

 

自転車選手のランス・アームストロング(や他の選手も)は、現在、ジロ・デ・イタリアという大きな大会に参加しています。彼らのコメントは、翌朝の新聞を待つまでもなくtwitterで本人自らが、いくつもつぶやいてくれています。

ネットが普及した今、メディアはそのあり方を根本から考えなければなりません。

 

記事をものしてお金をいただく人間は、取材のあり方、記事の作り方を考えなおす時にきているのではないでしょうか。自戒を込めて。