フリーライターが荻窪で綴る後ろ向き日記

2014年

3月

13日

まず「サポーター」と呼ぶのをやめたらいいんじゃないだろうか

(3月10日夜にフェイスブックに書いたものを転載)

 

ゴール裏に巣食う選民意識とか強者意識みたいな勘違いがここんとこ頻発する諸々のトラブルのタネだと思うんだよね。

 

もちろんスタジアムの雰囲気を醸成して、「選手が「がんばろう!」っていう気持ちにさせること」も大切だし、一見さんにまた来たいなと思わせることも大切だと思う。

もちろん浦和の差別野郎もジェフの自己満クソ野郎も、本人に問題があるし、奴らが最大悪であることは疑いがないんだけど、その問題に気づかせないまま、気持ちを大きくしちゃって暴走させてしまう空気がゴール裏にはあるんじゃないか?

 

開幕戦日立台での撮影してたら因縁つけられたっていう東京サポの件も根っこは同じだよね。

 

ゴール裏で応援を仕切ってるグループにいる俺様なんだから、何をやってもいいんだと勘違いするバカを生む土壌にゴール裏がなってはいないですかね。ありもしないサポーターヒエラルキーに酔ってる連中とか。

もちろんゴール裏の大半がバカではないことは知ってるけど。

 

もとより、俺らの声で選手を走らせよう、俺らの力で勝たせようという傲慢がイヤなのでゴール裏には近寄らないようにはしてたし、ここのところほとんどスタジアムには行ってないので偉そうなことは全く言えないんだけど、ゴール裏に選民意識と自己満足がはびこる限り、同じような問題はまだまだ繰り返すでしょう。

 

まして瓦斯のゴール裏みたいに対立こそが真のサポーターだみたいな連中が目立ってるうちは厳しいかもね。

 

せっかく「ぬるさ」がJリーグの良さなんだから、ゴール裏もとことんぬるい方向に進めないものなのかな。

 

まずはサポーターなんていう呼び名を止めたらいいんだよ。全員、観戦客だしただのファンだ。

(3月13日 追記)

記者会見で浦和の渕田社長から下記のような話があったんだとか。

まさにゴール裏における選民意識の現れじゃないか。

 

サッカーのJリーグのイメージを向上させていくために劇的にできることなんてそんなにないとは思うけど、まずは「サポーター」と呼んで特別視するのを止めることから始めたらいいんじゃないかなあ。

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2013年

9月

25日

名店とのお別れに思うこと

日本で一番古いとも言われる紅茶専門店がいよいよ今日で閉店です

 

支店や物販の店舗の営業がつづくとはいえ、あのミュージアムかと見まごうばかりの陳列物や堀江さんのお人柄や存在感、堂島という街との相性などなどを考えれば、まあ、「紅茶好きの聖地」とまで冗談半分に言われていたあのお店は閉店と言っていいでしょう。

ほんとにお疲れさまでした。ありがとうございました。

 

で、この一ヶ月、いろんな人の別れを惜しむ気持ちがそれこそ全国から集まって、それはそれは大混雑だった様子。皆さんの想いが店の記憶といつまでもともにあればいいなと思います。

 

でも、紅茶屋はまだまだたくさんあるんですよね。

 

今回、何が驚いたって、MUSICAってこんなに知名度が高かったのかと。一般の人(って言い方もおかしいけど、紅茶好きを表に出してない人)やら朝日新聞まで大騒ぎで、こんなにファンがいたのなら、なんで普段からもっと......と思わないでもないわけです。

 

当然、それぞれの方にいろんな事情があって、そうしょっちゅう行けなかったんだろうとは思うんですが、普段から賑わっていれば、閉店の事情を詳しく知るわけではありませんが、もしかしたら、もっと違う未来もあったんじゃないかなと思うんです。

 

まあ、それは言っても仕方のないことではあるわけで、だったら今回、堂島に集まった想いが、これからはもっともっと日本中の紅茶屋に普段から注がれればいいなって思います。

 

もちろん、歴史と実績と味と雰囲気と堀江さんの人柄があってのMUSICAでしたから、世の中の紅茶屋が代替を果たすのは簡単なことではないだろうと思います。

でも、MUSICAが好きだった人はきっと紅茶も好きですよね。少なくとも嫌いではないですよね。

 

なので、僕はこれから、いろんな人にいろんな紅茶屋の魅力を伝える仕事を頑張らないといけないのです。もちろん紅茶屋の皆さんにも頑張ってもらわないといけないんだけど、そこはもう皆さん、すごく頑張っていらっしゃると信じているのでw

 

少しでも多くの人が紅茶屋に足を運ぶきっかけをつくれるように。

そこで、紅茶を飲んで、お菓子を食べて、言葉を交わしたり、本を読んだりしてもらえるように。

それで、素敵なお店が望まぬ退店をするケースを少しでも減らせるように。

 

がんばらないとね。

 

 

Tea & Smile

http://teasmile.com/

 

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2013年

9月

24日

Jリーグちゃん、お小遣いは何に使ってるの??

「ママ、お小遣いなくなっちゃった。もうちょっとちょうだい」

子どもが頼めば、ママは

「こないだあげた分は何に使っちゃったの?」

って聞くでしょう。子どもは聞かれたくないだろうけど。

 

というか、僕はぜったいに聞かれたくありませんでした。

 

 

Jリーグはお金がない

 で、本題。

 

今、Jリーグはお金がない。と。

そしてこのままでは来年、さらに10億円程度の減収が間違いなかった。と。

(c.f. http://www.asahi.com/sports/update/0923/TKY201309230094.html

 

Jリーグの収入は公表されている資料(*)によると、2012年度予算で117億円強ですから、10億円も減ってしまったら大変じゃないですか。

ただでさえすでに震災前から10億円も減っているのに!

 

そりゃ、2ステージ制にでもなんでもして、テレビが喜ぶ仕掛けで新規のファンの目を集めて、それでお金を稼がなきゃ!

*Jリーグ公式サイト Jリーグの収支 http://www.j-league.or.jp/aboutj/document/income-and-expenditure.html

 

って、でもですよ、でも。

これまで、それこそ10億円減らないうちに、なんで新規のファンをつかむことができなかったんでしょうか?

今までもらってたお小遣いは何に使ってたんですか?

たとえばJ's GOALの話

ファンのあいだでは知られていることですが、Jリーグではインターネットメディアの取材申請を受理していません。インターネット専業メディアでJリーグを取材できるのは、リーグの関連会社、株式会社Jリーグメディアプロモーションが運営する「J's GOAL」のみです。

(c.f. http://www.j-league.or.jp/aboutj/property/

 

J's GOAL自体は硬軟織り交ぜたネタで、非常に情報量も多く、ファンにとってはとてもありがたいWebサイトです。これだけの規模で、土日に集中する膨大なトラヒックをさばき、ライター・カメラマンを全国各地に派遣し、トラブルなく運営していくにあたっては相当なお金がかかっていることと思います。でも残念なことに、このサイト、新規ファンの獲得にどれだけ貢献できているのか、まったく不透明なんですよね。

 

で、気になったわけです。

やれることはあったよね?

素人考えだと、「J's GOAL」なり他プロモーションで非Jリーグファン層に働きかける方法はいくらでもあったと思うんです。

 

たとえばJリーグの隠れた魅力にマスコットがあります。

 

Jのマスコットの魅力たるや、もはやサッカーが好きなのかマスコットが好きなのか分からない人々が、大宮に【腰の軽い雌リス】の姿を見に行くぐらいには人々をひきつけてるわけです。

 

 

そして「J's GOAL」は本来、こういう明るくほほえましいテーマは大得意なんですよね。マスコットだけじゃなくて、スタグル(スタジアムグルメ)の紹介だって得意分野ですよね。

 

なのに、なんで身内のJリーグファミリーしか見ないサイトで、いつまでも内輪受けして喜んでるんでしょう?

 

なぜ非サッカーファンの入口になり得るこんなに明るいコンテンツがあるのに、外部サイトやメディアとの連携を築いてこなかったんでしょうか?

 

なんでこの魅力的な雌リステーマを外部に売ってこなかったんでしょう?

 

もしかして

「競争相手はいない、放っておいてもユーザは集まる。みんな楽しそうだし、それでいいや」

と思ってはいなかったでしょうか。

 

Jリーグがお金がないというなら、仕方がないと思うんですよ。

ファンは与えられた舞台を楽しむしかないわけですから、2ステージ制でも複雑なプレーオフでも楽しむと思いますよ。

 

でも、それ以前に、これまでなんでできることをしてこなかったのか。

今まで使ってきたお金は何に使ってきたのか。

本当に収入が増えたら、あなたたちに効果的なことができるのか。

 

 

それを教えてくださいと言ってるのです。

 

 

大介、これまでのお小遣いは何に使ったの!?

ちゃんと説明しなさい!!

 

僕がJリーグにお願いしたいのはそういうことなんです。

 

 

過去にはこんな記事を書いています。

特に上のは、今となってはなんかむなしいね

 

Jリーグを観に行く方法

Jリーグ特命PR部はつぶれればいいと思うよ

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2013年

9月

08日

オリンピックがやってくるんでスポーツマンシップを考えたいですね

 2020年の夏季オリンピックとパラリンピックが東京にやってくることになりまして、スポーツ好きの都民としては素直にうれしいわけです。

 

 物心ついたときからスポーツと名のつくものが好きで、オリンピックが好きで、ずっとずっとスポーツを観て過ごしてきた者として、自分の住んでいる都市がオリンピック開催地に選ばれる瞬間を味わえたのは、これとない幸せだなと思います。

 

 もちろん、開催に向けて積立金があるとはいえ競技施設の整備等に巨額の予算が投じられるのは、都のお金の使い方として正しいのか。新設・改修する施設は、将来に向かって活用のメドが立っているのか。安倍さんが制御できている、安心してくれと大風呂敷を広げてしまった福島の汚染水処理や廃炉への道筋は本当に大丈夫なのか......などなどなどなど。不安な点は山のようにあるわけではあるけれど、それでも東京にオリンピック・パラリンピックがやってくるのはうれしいんです。

 

 そしてこれによって、都民はもちろん日本中の人に【スポーツマンシップ】の心が広がってくれればいいなと思うわけです。

 

 今回、オリンピック開催が決定して本棚から引っぱり出して再読しなくちゃと思ったのが、広瀬一郎さんの「スポーツマンシップを考える」です。前にスゴ本オフが「スポーツ」をテーマに行われた際に持って行きたいなと思っていた(けれど都合でオフそのものに行けなかった)本で、タイトルそのままに「スポーツマンシップとは何か」を考える一冊です。

 

スポーツマンシップを考える

 

 この本で著者の広瀬さんはスポーツマンシップについて、フェアプレーとの違いをまず説きます。

フェアプレーとは、あくまでプレー中に守るべき考え方や態度のことです。

 

 つまりスポーツマンシップとは、単にプレー上でルールを守ることのみならず、それも含め全人格的な資質を現す言葉なんですね。同書にはスポーツマンシップとは

スポーツマンがとるべき最も基本的な態度を促す精神的な理念

であると定義されています。

 

この本を読んで思うのは、スポーツマンとは

・ルールを守る良きプレーヤーであり

・勝利を求めて全力を尽くせる良き努力者であり

・敗れた時に相手を讃えられる良き敗者であり

・勝った時に相手をねぎらえる良き勝者であり

・ゲームを支えるあらゆる人に感謝を捧げられる良き人である

のだろうということ。こうした人こそがスポーツマンシップを有する者であるわけです。

 

 こうした資質が大切なのは、競技に参加する者に限りません。限る必要がありません。スポーツを観る者、スポーツを支える者、そしてスポーツの祭典であるオリンピックを迎え入れる我々都民・日本国民にとっても、スポーツマンシップは非常に重要な資質であるべきなのだろうと思います。

 

 たとえば今回、誘致を争ったマドリーやイスタンブールに対してしっかりと敬意を払えるかどうか。トルコの首相が安倍首相を祝福したなんてニュースが流れていましたが、そこに私たちがスポーツマンシップを感じるからこそ、その姿が美しいなと感じるのだろうと思うのです。

 

 これから先、いろいろな試合で応援してるチームが勝ったり負けたりするでしょうけれど、スポーツの試合ってのは勝った奴がいれば負けた奴がいるのは当然です。勝っては相手を蔑み、負けてはふがいない選手達を罵倒し。そんなことを繰り返してればスポーツマンシップが身につくこともないでしょう。

 国の名前やユニフォームで差別し、相手を慮らないまま身勝手な応援を繰り返し、勝ったときだけ我が世の春といわんばかりに、選手の威光にすがってでかい顔して敗者の悪口にひと時の恍惚を得る。世界中からスポーツマンを招きいれる我々はそんな態度であってはいけないなと思うわけです。

 

 もちろん僕もグランパスが負けたときなどは感情的になって審判を野次ったりしてしまうわけですが、それは、やっぱりよろしくはないですよねと。寝て起きるだけで聖人になれりゃ苦労もありませんが、何も聖人たらずとも、「スポーツ」という<ルールに則り、勝利を希求し、全力を尽くす遊び>がどのように成立しているのかを考えれば、じわりじわりと自然にスポーツマンシップは身についていくんじゃないだろうかと期待もするわけです。

 

 多分、大切なのは「スポーツってなんだろうか」「スポーツマンシップってなんだろうか」と考えることなんだろうと思うんですね。考えることで、いろんなことが見えるようになって、そして周辺への敬意を自然と持てるようになるんじゃないだろうかと。

 小学校の道徳の授業じゃあるまいし、

「明日からスポーツマンシップを大切にしたいと思います」

って言ったところで仕方ないけれど、今回の招致成功を機に、日本中の人がスポーツマンシップについて考え、そしてその心を持ってくれたらいいな。それこそが、オリンピック・パラリンピック開催の大きな意義になるんじゃないでしょうかね。

 

 なので、2020年に向けて僕らが、あるいは子どもたちと一緒に、スポーツマンシップを考えるために、ぜひこの本は読んでおきたいなとオススメしますっ。

 

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2013年

3月

15日

ベガルタ仙台と震災を記録した映画が寄付を募っています

僕には故郷と呼べる場所がありません。

 

人に聞かれれば仙台だと答えはしますが、そこで生まれたわけでもルーツがあるわけでもありません。


転勤族一家の末っ子に産まれてあちこち転々としながら、両親が街を気に入ったり、

兄二人の進学のタイミングだったり、会社の都合だったりそんなことが重なって

僕は小学校〜高校にかけての10代ほぼすべてを仙台で過ごしました。

 

なので、もう住んでる時間は東京の方が圧倒的に長いし、彼地に家族が住んでいるわけでもないけれど、僕にとっては一番思い入れがある街だし、仙台が一応、仮の故郷。【故郷(仮)】みたいな感じ。

 

そういえば母から、父は転勤を拒否していたために出世のタイミングを逸してしまった

みたいな話も聞いたことがあります。本当かどうかは知らないけれど、

それが真実に聞こえる程度には家族全員、仙台が好きでした。

何もできていなくて恥ずかしい

好きだったとか言いながら、僕は2年前のあの日以降、一度も仙台へ足を踏み入れていません。そしてそのことを恥ずかしく思っています。

 

兄はもう何度も仙台へ行った、がれきの山も直接目にしてきたと言います。

仙台と何の縁のないはずの人も、ボランティアとして現地へ赴いたり、

街を盛り上げるために訪れてくれていたりするのに、僕は一度も行っていないのです。

理由らしい理由も特にありません。お金がなかったり、仕事が忙しかったりという、言い訳程度のものだけです。ほんと恥ずかしい。


けれど一応、義捐金などには(できる範囲で)積極的に貢献したつもりではいるし、皆さんの好意を募るイベントを開いたりもしました。

今でも仙台のことが忘却の彼方へ消えてしまわないように、意識して仕事で出会った人などに仙台のことを話すこともあります。

あ、あと中学生時代にさんざんぶつかった教師の奮闘記(↓のやつ)を読んで、

「あぁ、やっぱり俺はこの人苦手だなあ」

と当時の気持ちをまざまざと蘇らせたりもしています(いや、応援はしてます。じゅんいっつぁん頑張ってね)。


そんなこともあって、いつもつねに自分が仙台にできることは何があるだろうと探していたりもするのです。

ドキュメンタリー映画のソーシャルファンディング

イギリスの映画監督が、ベガルタ仙台をモチーフにドキュメンタリー映画をつくるにあたって寄付を募っているらしいとtwitterで見かけたのは一週間ちょっと前でした。

以前、妻がキアロスタミの映画に募金した経験もありましたし、「ああソーシャルファンディングか」ということはすぐにピンときました。そして協力したいなとも。

 

でも僕にはドカンと数100ポンドを寄付する財力なんかありません。

とりあえず参照したtweetをお気に入りに入れておいてはみたものの、

また何をするわけでもなく、知ってるというそれだけのことで何かをした気になっていました。

 

そして今日、Jリーグファンがよく見に行くドメサカ板まとめ(いわゆる2ちゃんまとめ)でこのプロジェクトが取り上げられているのを再び目にしました。

 

「ああ、そういえば寄付してなかったな。今週のtotoBIGをはずしたつもりになって、5ポンドぐらいは寄付しよう」

 

そう思って告知ページであるkickstarterを訪れ、ポチポチとクレカ情報などを登録。

ほんのわずかな協力の約束をして、トップページをあらためて見てみると

 

ここまでの協力者 59 人

集まった金額 3,572ポンド(目標15,000ポンド)

残り8日

 

とか書いてあるじゃないですか。全然、足りない。

 

世界中にもう一回思い出してもらうために

ソーシャルファンディング事情に全然明るくないから、このペースが本当にあぶないペースなのか、実は最後にドカンと集まったりするもので安全なペースなのか分かりません。

けれど、ここまでの協力者が自分を含めて59人というのはやっぱり少ないよなと。

 

ならばせめて

「こういうプロジェクトがあるよ」

「がんばってこれを成立させて、世界中の人に仙台のことを東北のことを思い出してもらおうよ」

「ベガルタ仙台というクラブが奮闘していること、Jリーグが美しいことをみんなに知ってもらおうよ」

 

なんていうメッセージをほんの少しの人にでも届けたいと思い、それが何もしていない自分の贖罪になるとも思いませんけれど、こうして恥ずかしいエントリーを記しています。

 

映画の出来がどんなものかは告知ページにある予告編(上の引用tweetからご覧いただけます)を見て皆さんで判断してもらうしかないし、

実際のところこの告知が「釣り」の類じゃないのかどうかも僕には判断できません。

 

だから、寄付に協力してくださる方には自己判断でお願いするしかありません。けれど、これが無事に映画として作成され、イギリスと日本で見ることができるようになれば、

少しでも多くの人が地域の絆だったり、フットボールの力だったり、あるいは災害の恐怖だったり。そんな正の感情、負の感情を

もう一度、心に刻み直してくれるんじゃないかと思うんです。

 

なので、もしまだ寄付していない方がいたら、ほんのちょっとだけ。totoBIG一口分でもいいし、一週間分でもいいし。

そのぐらいの金額をポチッとしてくれたらうれしいなと。

 

手続き自体はクレカ情報と住所を入力するだけなので、ネットショッピングしたことがある人ならばとても簡単です。金額に応じて、カードがもらえたり、Tシャツがもらえたり、そんな特典もあるみたいです。

 

良かったらぜひ寄付をして、そして特別な気持ちでこの映画の完成を待ってみませんか。ぜひ。

 

おまけの本音

と、ここまで書いておいてなんなんですが、僕は別にベガルタサポーターではないので

「ACLを通じて世界へ行ってほしいな」とは思いますが、正直、明日のグランパスの方が心配なわけです。

 

また闘莉王をフォワードにするってマジかぁ......未来が...見えない......

 

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2013年

2月

12日

バカにあおられて会社を辞めちゃダメですよ

最近、「会社に依存するなんてバカだ」みたいなことを言う方がいるので、

大学中退→小企業→フリーライターという経歴の自分が感じることを書いてみました。

 

なんかの参考になればと、大学時代のことから延々と書いていますので、

かなり長いです。お時間のある方はぜひどうぞ。

(多分、読むのに3〜4分ぐらい)

 

でははじまりはじまり〜

大学時代(読み飛ばしてもいいかも)

大学時代は働くことをきちんとイメージできていませんでした。

今になって思えば、ぼんやりと

「文章を書いてお金をもらいたいな。スポーツライターとかかっこいいな」

ぐらいのことしか考えていなかったように感じます。

 

それと大学が大っきらいで、全然、学校に行ってませんでした。

両親には3回生まれ変わっても謝りきれないぐらいに申しわけないんだけど

大学に行かず、単位がもらえず、そして留年。

それを何年も繰り返してました。

 

結局、大学を辞めたのは7年生のとき(だったと思います)。

辞めることができたのは

「どうせこのまま頑張っても8年で卒業はできないだろうな」という諦めと

もうひとつはすでに編集制作の会社でアルバイトをしていて、

そこそこ戦力になることができていたから。

 

あと、そこそこに名のある大学(早稲田)に行っていたので、

「俺なら何とかなるだろう」ぐらいの勘違いの天狗さんにもなっていました。

もちろん大学の名前なんて何の役にも立たないし、

まったく能力の保証にもならないんですけどね。

 

中退〜就職〜会社員時代

単位が取れていないんだから、もちろん就職活動なんてしていなかった私ですが、

それでも前に書いたように「文章を書いてお金をもらう仕事がいいな」と

ぼんやりとは考えていたので、学生の頃から知り合いや先輩に

せっせとお手紙を書いたり、

文章を読んでもらう機会をつくってはいたわけです。

(※'94〜5年の話なのでインターネットの夜明け前です)

 

で、それを読んでくれていた先輩の一人が

「学生に取材記事を書いてもらう企画があるから、お前やる?」

と声をかけてくれていたのです。

 

そしてそのときの企画をきっかけに制作会社の仕事を手伝うようになり、

そこそこの戦力として計算してもらえるようになっていたので、社長に

「すみません。大学辞めるんで、雇ってください」と・・・。

 

当時は今ほどではないとはいえ、やはり就職は厳しい時期で、

我ながら運が良かったなぁと思うわけですが、

前々から恥も外聞もなく

「文章書いてお金もらいたいよ」とアピールしていたことが

結果的には職につながったわけです。

 

これが私の大学を辞めて社会に場所を得るまでのお話です。

 

会社に入ってからは与えられた仕事をたんたんとこなす毎日でした。

とはいえ、イヤな仕事だったかといえばそういうわけではなく、

そもそも憧れていた種類の仕事に就いたのですから、

一所懸命に企画を考え、取材をし、記事を書き、

クライアント企業を周り、デザイナーや印刷会社と連絡を取り、

必死になって冊子の編集をしていました。

 

なにしろ小さい会社なので何でもやんないといけなかったわけです。

 

仕事のジャンルは医薬品業界。

バカみたいに憧れていたスポーツの世界ではないけれど

その分野に自分の席を獲得できたことは、それはそれで喜びでした。

また何にしろ、大学を満足に出ることが出来なかった自分が

働いてお金をいただけるのですから、ありがたいお話だと。

 

ほんとうにほんとうにありがたい環境に身を置かせてもらっていたんですが、

ただ、ただね......

毎日、同じ場所へ顔を出し、同じ人たちと言葉を交わし、

同じような仕事をするのに耐えられなくなって、

どんどん職場で無愛想になってしまったのです。

 

小さな所帯でしたから、一人が無愛想になれば、

それはそれは職場の空気がどんよりと曇るわけですよ。

そしてその原因が自分であることも分かるわけだから、

どんどん肩身が狭くなる。

 

肩身は狭くなるけど会社には部屋が2つしかないから、逃げ場がない。

そもそも医薬品の仕事も好きでやってるわけではなかったので、

その頃は薬関係の仕事にもやりがいはまったくなくなってしまっていました。

 

 

フリーライターとして独立

で、社長とケンカするようになって、

会社を辞めたのが社会で働き出して7~8年目。

32歳のときだったと思います。

 

会社を辞めて何をするって、とりあえず転職先もないし、

自分にできることは取材をして原稿を書くことなので、

フリーライターとして仕事をしていこうと。

 

すごくありがたいことに昔からの友人や

前職時代にお付き合いのあった方が仕事をくれて

比較的にスムーズにご飯を食べていけるようにはなりました。

 

社会に出たときといい、会社を辞めたときといい、

本当にありがたいお話です。

人づきあい、ほんと大事。すごく苦手だし、全然うまくできていないけど。

 

ただフリーランスというのはまったくの浮き草稼業で、

当たり前ですが月々に決まったお金が入ってくるわけではありません。

しかも特定のクライアントに収入を依存してしまうと、

そことの関係が切れてしまうと途端に窮地に陥ってしまうわけです。

 

まして私、計画性とか無縁の人生なので、

ここまで貯金があるわけじゃありません。

収入が途切れれば、それ即ち、飢え死にの危機。

自分ひとりで死ぬ分にはいいんですけど、妻もいるので......。

この辺は昔話ではなく、今現在、

リアルに生きていくピンチに陥っているので

まったく笑えない話なわけですが、

まあ、フリーランスライターというのはことほどさように

人生の危機と背中合わせに生きているわけです。

(もちろんちゃんと人生設計してるライターさんは大勢いらっしゃいますw)

 

 

最近の風潮に思うこと

最近、よく

「会社に依存した人生なんてもう終わりだ」とか

「就職できなければ起業すればいい」とか

そんな声がネットを通じて聞こえてきますよね。

 

とくに齢の高低男女の差を問わず、声の大きな方が叫んでいるようで、

安直な独立志向を訴える「俺様」の声が

聞きたくもないの聞こえてくるわけです。

 

そんな声が聞こえてくるたびに感じるのは、

「お前には他人様の不安を抱えて生きる覚悟があるんですか?」

ってことですよね。

 

ラッキーの連続でなんとか会社と名のつく場所に滑り込み、

さらなるラッキーでフリーライターとして糊口をしのぐことができている

そんな私だって、

 

明日にはご飯が食べられなくなるんじゃないか。

40を過ぎて、今から雇ってもらえるとしたらどんなところなんだろう。

そもそも生きていけるのかな。

生きている資格があるのかな。

60過ぎる頃にはどうなってるんだろう。

国民年金だけで老後は生きていけるのかな。

住むところはいつまでこうして借りていられるのかな。

 

それはもう脳みそが起きている間という間中、

不安に押しつぶされてしまっているわけです。

一応、専門分野があって、15年を越えるキャリアがあって、

実績を問われれば充分に示す作品がある私でも

つねに、本当につねに、不安が心の中に低く垂れ込めているんですよ。

 

それなのに「就職できなければ起業」? 「会社に依存するな」?

そんな安易に冒険をけしかけて、

社会に向けて不安の大安売りをして何になるのか......。

 

まあね、私に仕事がないのは単純に能力不足ってこともあるだろうし

不安にやられてしまっているのも、

いきあたりばったりの生き方が問題だってのも充分にあると思います。

 

けどね、どこにも所属せず、自分の力だけで何かを獲得していくことが

凡人にとってどれだけ大変か。

twitterでふぁぼられ、facebookでlikeされるだけで

小躍りしてしまう程度の小者にとって、

社会の中で仕事を獲得し、金銭を獲得し「つづける」ことが

どれだけ大変なことか。

 

「自力で生きていくのは大変なんだよ」

と俺様たちにケンカを売ったところで、

就職先・転職先を見つけるのに苦労してる大変な状況の方々に

私から「こうするといいよ」なんてアドバイスはできません。

 

個々人の状況やスキルもあるでしょうし、

夢の重さも、簡単に諦められるものと捨てられないもの。

それぞれ差があるでしょう。

 

ただひとつ言えるのは、安直な煽り文句に乗っかって

「そっか、会社勤めなんて大したことないんだ」とは

思ってほしくないなと思います。

 

もちろん体や心を壊してまでしがみつくのは違うと思うけど......。

 

自分の人生なんだからバカの大声にやられないで、

どうか慎重に真剣に考えてください。

 

あと、長々長々と書いてきて、一番言いたいことは何かというと、

仕 事 く だ さ い

ってこと。

 

インタビュー記事なら1,000本以上書いてきましたし、

医薬品だけじゃなくビジネス全般いけますんで、ぜひお声がけください。

お問い合わせはこちらから、ぜひ(真顔)。

 

 

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2013年

1月

15日

クルム伊達公子のあきらめなかった強さ

クルム伊達、世界12位から大金星あげる◇全豪オープン

 

テニスのグランドスラムである全豪オープン(オーストラリア/メルボルン、ハード)は大会2日目の15日、女子シングルス1回戦が行われ、クルム伊達公子(日本)が第12シードのN・ペトロワ(ロシア)に6-2, 6-0のストレートで勝利、初戦突破を果たした。

 

http://news.tennis365.net/news/today/201301/95513.html

42歳、17年ぶり、12位の選手に

クルム伊達公子がグランドスラムで勝利しました。

 

全豪オープンでは17年ぶりの勝利。今大会の出場選手には、彼女が前回、この大会で勝利したときには生まれていなかった選手もいるほどのブランク。

 

そして勝った相手もただ者じゃない。去年の東レパンパシフィックオープンの優勝者で、世界ランク12位のナディア・ペトロワ。女子テニス界で強豪の1人に数えられる選手です。

 

"42歳"の選手が"17年ぶり"に、"12位"の選手に勝った。

 

この勝利のすごさを数字で示そうと思えばそういうことになるんだろうと思います。あるいは"6-2,6-0の完勝"だったというのも加わるかもしれません。

 

でも今回の勝利のすごさは、その数字の外側にあると僕は感じています。

勝てなかった2012年

去年、2012年、クルム伊達公子はまったく勝てませんでした。5カ月間勝利できなかった期間もあり、ランキングももっとも落ちた時期には140位台まで落ち込んでいたようです。

 

復帰後目標にしていたはずのロンドンオリンピックへの出場も叶いませんでした。錦織とダブルスのトレーニングまでしてたのに。

 

で、同い年の傍観者としては、「もう、あきらめたらどうだろう。よくやったよ」と思っていたわけです。オリンピックに出られなかった時点で、「今年(2012年)いっぱいでラケットを置くんだろうな」と勝手に信じ込んでいたわけです。

 

年齢のせいじゃない

でも当の本人は、そんなこと思ってもいなかったんですね。

 

全豪オープン前のインタビューではこんな風に話しています。

「ポイントにこだわらずに試合数をこなしていくことで、必然的にいいプレーができれば、いずれ勝ち星にもつながってくることもあると信じて、あまり数字にはとらわれずに戦っていきたいと思っています。」

スポーツナビ http://sportsnavi.yahoo.co.jp/tennis/text/201301140005-spnavi.html

 

 

正直、「まだ勝つ気なのか・・・」と驚きました。心の中では半分、笑っていたと思います。だって去年、あんだけ勝てなくて、さらにひとつ年齢を重ねて、勝てるわけがないじゃないかと。

 

でも今日、クルム伊達公子はナディア・ペトロワに、完璧な試合運びで勝利しました。思い通りに試合が運ばないペトロワがイライラしてる様子が、画面を通して日本に伝わってくるぐらいに一方的な内容で、シード選手を下しました。

 

彼女は長く勝てなかったことを決して年齢のせいになんかしてなかったんですね。きちんとコンディションを整えて、技術を磨いて、大会にベストな状態で臨めれば結果は残せると信じていたんです。

 

世界の第一線の舞台に復帰し、40歳でウィンブルドンでも勝利して世界中を驚かせて、そしてその後、勝てなくなってランキングは下降線をたどる。

 

そんな中にあっても、勝てないのは年齢のせいじゃないんだ。あきらめなければ、まだまだ戦えるんだとクルム伊達公子は思い続けていたんですね。

 

そして実際に成績を残してしまった。

 

どんだけ強い心なんだと。

どんだけすごい体なんだと。

 

あきらめないということ

別にこれは、あきらめなければ願いは叶うなんていう安っぽい道徳の教科書に出てくる物語でもないし、同い年の僕もあきらめないで頑張ろうなんていう小学生の感想文でもありません。

多分、僕に彼女の精神力と厳しいトレーニングはマネできません。

 

ただメルボルンのコートの上に、あきらめないでものすごいことを成し遂げたテニスプレーヤーがいるよと。

 

そのすごさは42歳とか17年ぶりとか世界12位を倒したとか、そういう数字じゃない部分なんだよと。

 

そんなことをおぼえておくことぐらいはできるので、きちんと今日のクルム伊達公子の偉業を心にとどめておきたいと、そんな風に思うわけです。

 

そして伊達さん、本当におめでとうございます!

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2012年

7月

08日

「サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き」を読んだ

サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き

トーマス・ブルスィヒ著

粂川麻里生訳

三修社

 

レフェリーのモノローグで構成される小説で、

スタジアムやテレビの前にいる我々が考えたこともない視点で

サッカーが、選手が、社会が描かれていく。

けれど、訳者あとがきに著者の言葉として引用されているように

「サッカーは表現のための小道具」でしかない。

 

主人公の視点の向こうには、現代社会に暮らす我々が映っている。

騙す者、委ねる者、線を引く者・・・・

 

自由を満喫しているようでありながら、大きな何者かに生活や人生を委ね

手足を縛られている現代人が終盤になればなるほど浮き彫りになってくる。

 

物語の舞台になっているのはドイツ。

でもドイツに限った話でもなく、ヨーロッパやアメリカに限った話でもなく、

日本に暮らす我々に

「サッカー審判員フェルティヒ氏の嘆き」は切々と訴えかけてくる。

 

 

レフェリーが主人公というだけでサッカーファンには非常に興味深いけれど、

それだけにはとどまらず、社会への接し方について

イヤでも考えさせられてしまうような素晴らしい作品だった。も

 

ちろん、これから試合のたびに

レフェリーを見る目が少し変わってしまいそうではあるけれど。

 

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2012年

6月

02日

「旅」のスゴ本オフに参加しました

 

 

 

 

『旅』がテーマということで

「どんな本を持って行こうかな〜」「何を話さそうかな〜」と考えながら久しぶりに参加してスゴ本オフ。

一週間ぐらい前から本棚を眺めては

 

「『深夜特急』・・・は定番すぎるだろ」とか

「『からくりサーカス』・・・話まとまらないな」とか

「『濹東奇譚』・・・ってそもそも旅じゃないし」とか......

 

あれやこれや考えていたわけです。で、僕が持っていったのは、

 

星空などを手がかりに針路を見いだしていく古来の航海術で太平洋を渡った

『星の航海師ーナイノア・トンプソンの肖像』

 

日本のカーレース草創期を支えながらレース中の事故でこの世を去った浮谷東次郎が中学時代に記したオートバイ紀行

『がむしゃら1500キロ』

まあ当日まであれこれ考えたって、いざ本番を迎えると、考えていたことの半分も上手く話せずぐだぐだになるのはよくある話で、あらためてここに書くまでもないことです。

どうせ上手くできない決まってる自分が話すことより何より大切なのは、他の方が持ってきた本を拝見し、そのプレゼンを聞くこと。

今回、本当にいろんな『旅』に対する感じ方・考え方に触れることができて、とても印象的でした。

 

ぶっちゃけ『旅』なんていうテーマは、こじつけちゃえば何だって『旅本』になるわけです。

読み手が本のどこに『旅』を見いだし、想いを馳せていくかということなので、あの本だって、この本だって、なんだって『旅』にできるわけです。

だから参加者の『旅』を見いだし方は十人十色。

 

本を通じて自分の旅行を再現する

まだ見ぬ土地への旅を想起する

一冊の本を必ず旅を供にする友とする

旅先で買った思い出を思い起こす

ページの上の自己探求に自身を重ねる などなど。

 

本の中には「目的としての旅」も「手段としての旅」も「隠喩としての旅」も「ネタとしての旅」も......それはそれはいろんな旅がありました。

 

今回、紹介された本(40〜50冊ぐらい?)のほとんどが僕には読んだことのない作品でしたが、そこを通じて伝えられる『旅』のイメージは大いに刺激されるものばかりでした。

ある参加者の方が、元弁護士(だったかな?)の出てくる小説を紹介されている中で

「法律というと旅とは真逆で、何かを縛りつけるイメージがありますが・・・」とおっしゃっていました。

 

うん。

旅というのは、日常だったり固定観念だったり、いろんな束縛をふりほどいて自由になる行為なんだなぁと。

最近、旅らしい旅はしていないけれど、人生あらゆる場面に旅は転がってるんだよね。

 

ということで、久しぶりに参加した「スゴ本オフ」。とてもとても楽しませていただきました。

主催者の皆さま、参加者の皆さま、素敵なノベルティを下さったexpediaさま、ありがとうございました。

 

 

 

スゴ本オフに興味ある方は、主宰の@yasuyukima さんをフォローしておくと、開催告知をチェックできるかもです。

これから先は、角川文庫、ホラー、音楽、スポーツなどがテーマとして予定されているそうなので、ぜひ参加してみてくださいませ。


初参加の方こそ、大歓迎だそうですので。

トートバッグとステッカーをいただきました
トートバッグとステッカーをいただきました
旅行をテーマにしたBEAMS Lightsの紹介もありました
旅行をテーマにしたBEAMS Lightsの紹介もありました
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2012年

4月

13日

桜の紅茶の会でプロの技に触れてきました

 

 

 

 

 

花と紅茶と桜餅

 

ということで、ティーブレンダー熊崎俊太郎さん主催の「桜のお菓子と桜の紅茶の会」へお邪魔してきました。

 

 

今回はコンパクトにまとめられたお茶会で紅茶は2杯だけ。

ヌワラエリアに桜花を浮かべた『観桜茶』とキャンディをベースに熊崎さんがミックス(その場限定のブレンド)した『こくあまセイロン茶』。お菓子は道明寺桜餅、長命寺さくら餅、桜のチーズケーキ。そして会場となったかふぇこく〜んの店主まゆさんが焼いたクッキーの4種類。

 

僕は幼い頃、桜の風味が苦手で「桜餅より柏餅」な子供でした。その影響からか、今でも桜の風味はどこか大人が楽しむものという印象で。

 

今回の「観桜茶」や関東風な長命寺、関西風な道明寺。どれも少し塩っ気があって、花に抜けるどこか艶っぽいようなとろりとした香りが優美で、やっぱりなんとなく大人の取り合わせというイメージ。

(チーズが苦手なのでチーズケーキがどんな風味かは知りません.....)

意地悪く言えば、(「桜の」と予告してるんだから当然なんだけど)そんな予想の範囲内にあるお茶とお菓子だったわけです。

 

 

 

けど......なんて言うんでしょうね。あらためて見せつけられる「凄み」とでも言うんでしょうか。驚きは決して予想を越えたところにばかりあるわけではないってことを、あらためてこのお茶とお菓子の組み合わせで見せつけられました。

 

たとえて言えば

ストレートが来ると分かっていても手が出ないストレート

淳吾が蹴るって分かってるのに止められない淳吾のフリーキック

・・・そんな感じ。

 

桜のお茶とお菓子なんだけど、やっぱり頭の中で「分かってるよ」と思ってるんじゃなくて、実際に味わってみないと感じられない凄みを体感させられたわけです。

 

それはお茶会の後に追加オーダーしたこく〜んさんの4月のプレート「桜のオムレット」でもそうなんですけど、やっぱりプロの技ってすごいんですよね。

 

桜風味のもつ優美な香りと塩漬けの桜葉のちょっとしたしょっぱさが、すごくやさしく心を和らげてくれるんです。お茶もお菓子も。そこには驚きとか意表をつくギミックとかそんなのは全然必要なくって、王道なら王道で楽しませてみせるみたいな。

 

そんな素晴らしいお茶会でした。

たまにこういうプロの技にふれてみると、楽しいですね。それこそプロ野球やJリーグを観に行ってプロの妙技を堪能したような感覚。

 

で、家に帰れば、それはそれでスーパーで買ってきた桜餅といつものお茶で手軽にお茶の時間を、今度は思う存分リラックスして楽しめるわけです。

こっちは草野球やフットサルを自分でプレーしてる感覚かなぁ。

 

別に背伸びもせずに、のんびりゆっくりと。

 

合わせるお茶も、たとえばスパイシーで甘々なチャイにしてみてもいいだろうし、渋々のお茶でもいいだろうし、桜餅を引き立てるために軽い口当たりにしてみてもいいし。

桜の季節にあらためてお茶が好きになる。そんな機会となりました。

 

で、その後、外で桜を見ながらお茶を飲んでて思ったんですが、どうしてもお茶を飲むときは下を向いてしまうので、<桜の花を見上げながら同時にお茶も飲める道具>をどなたか発明してもらえないものでしょうか......。

 

お茶・お茶・さくら・お茶・さくら・・・じゃなくて、やっぱり同時に楽しみたいじゃないですか。

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2012年

3月

30日

人を束ねるを読んだ

名古屋グランパスのGM(ゼネラルマネージャー)久米一正さんがそのマネジメント手法についてまとめた新書が出るというので、さっそく購入してきました。その内容は、単にJリーグの内輪ネタやスポーツビジネスネタにとどまらず、ビジネス集団を統率するマネジメント論、そしてビジネスパーソンとして身につけるべきプレゼン術と幅広いもの。グランパスファン、サッカーファンのみならず、一般(ってラベリングも変だけど)のビジネスパーソンの方々にもぜひとも読んでいただきたいものでした。

 

目次はこんな感じ

 

人を束ねる 名古屋グランパスの常勝マネジメント

久米 一正 著

 

第1章 グランパス構造改革

第2章 激動の2011年

第3章 日立製作所で学んだこと

第4章 GM初期

第5章 人材を集める

第6章 人を束ねる

第7章 GMは教育者である

第8章 ストイコビッチ監督との蜜月

第9章 日本サッカー界への提言

 

 

本書を通して久米さんはマニュアル化の効用を説きます。どんなときも何があってもスムーズに目的に向かって仕事を進めることができるように、そして誰が見ても公正な評価がなされていると納得できるように、マニュアルが大切であると繰り返し強調しています。

たとえば新人選手獲得における口説き方や新外国人選手の生活フォローについても、事細かにマニュアルをつくり、そしてそれをまめにアップデートしていくとのこと。そうすることで有望な選手や家族に安心してもらえるクラブになれるし、外国人選手も余計な生活不安を抱えることなくプレーできるクラブになるというのです。

 

もちろん選手の査定に関しても細かなマニュアルが定められています。野球と違って選手個々の働きを数値化しづらいサッカーという競技ですが、どのようにして選手を納得させてゴネ得を許さないか。本書の中では出し惜しみすることなくそのマニュアルがばばーんと公開されています。このマニュアルを導入してから、グランパスでは契約交渉が長引く選手がいなくなったとか。どんなものかはぜひ中身を見て確認してみてほしいのですが、ファンとしては「ふむふむ、こんな風にして年俸が決まっているのか!」と、非常に興味深く読むことができました。

 

マニュアルはそれ自体が目的化してしまえばマンネリを招くだけです。それを防ぐにはつねにマニュアルの先にある目的を意識して、必要があればマニュアルの改訂をいとわないことが大切。グランパスにとっての目的は勝つことであり、地域の人々との絆を強くしていくことです。

いかに柔軟にマニュアルを運用していき、そして最大限の効果を発揮していくか。サッカークラブといえでも企業ですから、ときには社内プレゼンも必要になります。この本には久米さんがこれまで多用してきたというプレゼン術も公開されているので、参考になる方も多いのではないでしょうか。

 

グランパスの勝ち点一つ一つはもちろん選手たちの活躍によって積み重ねられているものですが、その陰にこうした久米さんをはじめとするスタッフの皆さんによるプロの仕事があると思うと本当に頭が下がる思いです。

 

そしてそして、やはりサッカークラブのバックステージものとして抜群に面白い。グランパスファンならば、本のあちこちに「あ、あのときのことか!」「おぉ、この選手にそんなところが!」と驚いたり、納得したりするところばかり。

 

久米さん自身、本書の中で「自分が築いてきたGMの仕事のノウハウを隠すつもりはない。いつでも喜んですべてを公開する。」と書いているように、この本を読んで他のクラブの運営が改善しちゃったら困るんじゃないかと思うほど、あけっぴろげにあれやこれや書いてある本書。サッカーに興味のある方はもちろん、サッカーにそんなに興味ないかなという方にも、こんな世界があるんだなという感じでぜひ読んでみていただけたらうれしいなと思います。

 

 

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2012年

3月

04日

漫画茶話をやりましたよ

参加者の皆さんで漫画とお茶、お菓子を持ち寄って、お茶を飲みつつ漫画を語り合おうというイベント「漫画茶話」を開催しました。

 

いろんなおいしいお茶を飲みながら、一人ひとりの持ってきた作品への想いを聞いたり語り合ったり......と考えていたのですが、やはり「飲んだり話したり聞いたり食べたり」を同時にするのはなかなか難しいですね。

 

ということで、僕が皆さんから漫画の話を聞けたのは自己紹介のときだけになってしまったのですが、それでも熱い。いやぁ、熱い。話長い(笑)。

 

どのぐらい熱かったかといえば、自己紹介(と本の紹介)だけで1時間半近く。

 

でもどの方がもってきた作品も面白そうで、読んでみたくて、もっと話を聞いていたくて。

 

まあ、でもずっと発表会みたいになっても仕方ないしね。ということで、そこから先は、各々、漫画を読んだり、話をしたり、お茶をいれたり、お茶を飲んだり。

 

今回は顔なじみな人ばかりではなく、はじめましてな方も多かったのですが、そこにお茶とお菓子があれば、楽しく話せるものですね。

 

お茶はスタンダードなエリアティーから、こうやさんのロンドン土産のいろんなティーバッグ、ダージリンの茶園ものもあるし、フレーバードティーもあれやこれやと。碁石茶なんていう乳酸菌をつかった後発酵茶も味わわせていただきました。

 

できればもっといろいろな方と話ができたり、いろんな方にお茶をいれてもらうことができれば良かったのですが、それは今後への反省材料ということで・・・。

いつもお茶いれる人は決まっちゃうから、次に何かやるときは、一人でも多くの人がお茶をいれる側に回れるようになれればいいなと。

 

ということで、参加してくださった皆さま、ありがとうございました。

最後に皆さまが紹介してくれた作品のリストを掲載しておきますね。

 

【漫画茶話紹介リスト】

 

@rote_getrank さん

「ベるぜバブ」田村 隆平

「ZONE-00」九条 キヨ

「鬼灯の冷徹」江口 夏実

「ありをりはべり」日向 なつお

「キャリア こぎつね きんのもり」石井 まゆみ

「詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談」古舘 春一

「六百頁のミステリー」幸村 アルト

「はちみつとバタフライ」幸村 アルト

 

@nagaretea さん

「神戸在住」木村 紺

 

@simanyan さん

「草子ブックガイド」玉川 重機

「図書館の主」篠原 ウミハル

「手のひらサイズ。」天堂 きりん

「王子様と灰色の日々」山中 ヒコ

 

@edgejapan さん

「トライガン・マキシマム」内藤 泰弘

「アラサーちゃん」峰 なゆか

 

@alotofwe さん

「満月をさがして」種村 有菜

「恋煩いフリークス」雨隠 ギド

 

@catucatu さん

「キュビズム・ラブ」松本 テマリ

「ヒル」今井 大輔

「外天楼」石黒 正数

 

@rei_saijou さん

「まなびや三人吉三」山田 南平

 

@hifumi_n さん

「桜の花の紅茶王子」山田 南平

「おせん」きくち 正太

 

@ico22xx さん

「天才柳沢教授の生活」山下 和美

「人形芝居」高尾 滋

「青い花」志村 貴子

 

@mdw_ さん

「刻刻」堀尾 省太

「ZONE-00」九条キヨ

「&」おかざき 真里

「シュトヘル」伊藤 悠

「少年ノート」鎌谷 悠希

「薔薇だって書けるよ」売野 機子

 

@Gol0526 さん

「バリスタ」むろなが 供未、 花形 怜

「森薫集」森薫

 

@dirk_haworthia さん

「黒博物館 スプリンガルド」藤田 和日郎

 

@NEU_Tee さん

「東周英雄伝」鄭 問、 徳田 隆

 

@rohanobladi さん

「きのう何たべた?」よしなが ふみ

「団地ともお」小田 扉

 

@askachi さん さん

「五月女ケイ子のレッツ!!古事記」五月女 ケイ子

「しろくまカフェ」ヒガ アロハ

 

@CastaMILD さん

「探査機はやぶささん」オレンジゼリー

「恋愛怪談サヨコさん」関崎 俊三

「ゼウスの種」飯島 浩介

「数奇です!」山下 和美

 

@fatstreet さん

「ノブナガン」久 正人

「リンドバーグ」アントンシク

「ゴロンドリーナ」えすと えむ

 

@frog88 さん

「恋愛的瞬間」吉野 朔実

 

@melonbros さん

「山賊ダイアリー」岡本 健太郎

「34歳無職さん」いけだ たかし

(2012/3/5追記)

「鞄図書館」芳崎 せいむ

「昭和元禄落語心中」雲田 はるこ

「地上はポケットの中の庭」田中 相

「アリョーシャ!」近藤 るるる

「放浪(さすらい)の家政婦さん」小池田 マヤ

「MASTER KEATON」浦沢 直樹 / 勝鹿 北星・長崎 尚志

「ガラスの仮面」美内 すずえ

「ガンスリンガー・ガール」相田 裕

 

@tabemakuri さん

「ガンスリンガー・ガール」相田 裕

「9番目のムサシ」高橋 美由紀

「やじきた学園道中記」市東 亮子

「坊主戦隊ジュゲム」駒井 悠

「嫁姑の拳」函岬 誉

「パーム」獣木 野生

 

@tamao_t さん

「明治緋色奇譚」リカチ

「AD」あき

「はじまりのにいな」水森 暦

 

@ochaseijin さん

「珈琲時間」豊田 徹也

「あの日からのマンガ」しりあがり 寿

「世界のコミックス作家がみた3.11〜マグニチュード・ゼロ〜」

「人間物語」長 新太、 トムズボックス

 

@NoriJr

「あっかんべェ一休」坂口 尚

 

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2011年

9月

01日

「Number」に欧州サッカーの日本人選手はどのぐらい掲載されているのか?

最近はめっきり読むことのなくなってしまった雑誌なのですが、最新号の「Number」の広告を見ていて、

「香川とか岡崎とかいつも同じ面子が出てるなー」

と感じたので、今年に入ってからの同誌の企画をちょっと調べてみました。

 

今年に入ってからの特集一覧

770号/僕はこんなものを食べてきた。アスリート最強の食卓。 (企画-食事)

771号/天才プレイヤーの創り方。~欧州サッカー育成最前線~ (サッカー-欧州)

772号/アジア杯激闘録。~ザックジャパン総力特集~ (サッカー-日本代表)

773号/名将の言葉学。~2011年のリーダー論~(企画-リーダー)

774号/ルーキー秘話。~プロ野球大型新人伝説~(野球-プロ野球)

775号/新・黄金世代の挑戦。 (サッカー-欧州日本人・日本代表)

776号/黄金世代がプロ野球を面白くする。(野球-プロ野球)

777号/欧州サッカー総力特集 名将が語るベストゲーム。(サッカー-欧州)

778号/カズに学べ。~明るく生き抜く11の思考法~(サッカー-カズ)

779号/これが日本の生きる道。~欧州サッカー'10-'11シーズン総集編~(サッカー-欧州日本人)

780号/名将に学ぶ。~チームを変革する新時代リーダー論~(企画-リーダー論)

781号/メンタル・バイブル~20人のアスリートが明かす心の整理術~(企画-心理)

782号/答えは過去にあり。~ニッポンの名将特集~(企画-リーダー論)

783号/非エリートの思考法。~乱世を生き抜く力をつけろ!~(企画-育成)

784号/<完全保存版>女子ワールドカップ優勝記念なでしこ激闘録。(サッカー-女子日本代表)

785号/覇者たちの夏。~甲子園 最強高校伝説~(野球-高校野球)

786号/ブンデスリーガの日本人。(サッカー-欧州日本人)

 

参照元: 「Number」バックナンバー一覧

( )内のカテゴライズはブログ主

内訳別にすると、こんな感じ(一部重複あり)

 

企画もの 6本

サッカー欧州 5本

野球 3本

サッカー代表 3本

サッカーその他 1本

 

やはりサッカー多いですねー。

企画ものにもサッカー関係者はふんだんに登場するので、もはやサッカー雑誌の風格さえ漂います。

 

あと特別すべきは、「企画もの」としてくくった中にリーダー論が3回も登場すること!

 

ほかにも「心の整理術」(781号)とか「乱世を生き抜く」(783号)とか、まるで安っぽいビジネス書のような企画もたくさん。ちなみに「企画もの」が4号つづいた780号〜783号は発売時期にすると6月9日〜7月21日。欧州サッカーがシーズンオフでネタがなかったんですね。わかります。

 

で、ですよ。

冒頭の疑問というか素朴な印象というか、同じ面子ばっかりだなーというのも、ちょっと調べてみました。

 

欧州で活躍する主な日本人プレーヤーの単独記事登場回数

 

【香川 真司】5回

「“世界基準”が生まれた理由」

(天才プレイヤーの創り方。~欧州サッカー育成最前線~  771号/2011年1月27日発売)

「シンジはサイドで進化する」

(アジア杯激闘録。~ザックジャパン総力特集~  772号/2011年2月9日発売)

「欧州で必要なことはすべて挫折から学んだ」

(新・黄金世代の挑戦。  775号/2011年3月24日発売)

「闘争心と集中力、そして優しさ」

(これが日本の生きる道。~欧州サッカー'10-'11シーズン総集編~ 779号/2011年5月26日発売)

「もう一度、マイスターシャーレを」

(ブンデスリーガの日本人。 786号/2011年9月1日発売)

 

【長友 佑都 】5回

「僕の成長に限界はない」

(アジア杯激闘録。~ザックジャパン総力特集~  772号/2011年2月9日発売)

「不屈」

(新・黄金世代の挑戦。  775号/2011年3月24日発売)

「マルディーニ&ベルゴミが見た、長友佑都の本質」

(これが日本の生きる道。~欧州サッカー'10-'11シーズン総集編~ 779号/2011年5月26日発売)

「インテルが長友を欲した理由」

(これが日本の生きる道。~欧州サッカー'10-'11シーズン総集編~ 779号/2011年5月26日発売)

「世界一を目指す自己プロデュース術」

(非エリートの思考法。~乱世を生き抜く力をつけろ!~ 783号/2011年7月21日発売)

 

【長谷部 誠 】3回

「これが僕らの進む道」

(アジア杯激闘録。~ザックジャパン総力特集~  772号/2011年2月9日発売)

「選手としての死と向き合う」

(これが日本の生きる道。~欧州サッカー'10-'11シーズン総集編~ 779号/2011年5月26日発売)

「僕が、逆境の中で心がけた10のこと」

(メンタル・バイブル~20人のアスリートが明かす心の整理術~ 781号/2011年6月23日発売)

 

【本田 圭佑】3回

「どこにもない“オリジナル”になりたい」

(アジア杯激闘録。~ザックジャパン総力特集~  772号/2011年2月9日発売)

「俺の辞書に“安定”の文字はない」

(非エリートの思考法。~乱世を生き抜く力をつけろ!~ 783号/2011年7月21日発売)

(家長昭博&本田圭佑) 「同じ日に生まれたふたりの天才」

(新・黄金世代の挑戦。  775号/2011年3月24日発売)

 

【岡崎 慎司】3回

「ダイビングヘッド封印宣言。ドイツで心掛ける2つのこと」

(新・黄金世代の挑戦。  775号/2011年3月24日発売)

「自分を客観視する技術」

(これが日本の生きる道。~欧州サッカー'10-'11シーズン総集編~ 779号/2011年5月26日発売)

「開幕ゴールに秘められたヒント」

(ブンデスリーガの日本人。 786号/2011年9月1日発売)

 

【内田 篤人】3回

「サボっちゃうタイプだから敢えて厳しい環境を選んだ」

(新・黄金世代の挑戦。  775号/2011年3月24日発売)

「チャンピオンズリーグが俺を変えた」

(これが日本の生きる道。~欧州サッカー'10-'11シーズン総集編~ 779号/2011年5月26日発売)

「ドルトムント&バイエルン攻略法」

(ブンデスリーガの日本人。 786号/2011年9月1日発売)

 

 

今年9月1日発売号までで、3回以上単独(またはそれに近い記事)で取り上げられてるのは、上記6人。

 

17回雑誌が発行された中で3〜5回なので、思ったほど多くはないんだなぁというのが率直な感想ですね。せっかく調べたのに残念(笑)。とはいえ、従来「総合スポーツ雑誌」として頂点に君臨していた雑誌の3〜4回に1回は同じ選手の記事が載るというのは、個人的にはちょっと偏りすぎな気もします。

 

もっといえば目次で確認しただけなので、細かな記事にインタビューや名前、写真が登場していたりするのを含めれば、もっと登場はしてるでしょうし、国内でプレーする選手との露出差は歴然で...というか、Jリーグは今年まだ一度も特集されてませんしね(←ひがみ)。

 

 

これまでよくも悪くも、日本のスポーツライティングの世界を牽引してきた雑誌は「Number」なわけで、これから先もかかる期待は大きいわけです。

 

欧州サッカー→欧州サッカー(日本人)→企画もの→野球→欧州サッカー→欧州サッカー(日本人)→以下ループ

 

という形で、いつまでも同じような顔、同じような切り口が続いていくと、読者さんも飽きちゃうんじゃないですかね。そうじゃなくても、欧州でプレーする日本人選手の情報はネットやCSテレビ、他誌で飽和気味なわけですし...って、この特集じゃないと売れないんでしょうね、きっと。

つくってる人たちも、実は忸怩たる想いを抱えてたりするのかな。どうなんだろう。

 

スポーツファンとしては、もうちょっと多彩な記事を読みたい気はしますけどね。

 

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2011年

8月

08日

紅茶飲料と紅茶とフットサルとサッカーと

午後の紅茶 Pungency DJ1 Special Box

 

午後の紅茶が通販限定で特別版の紅茶を出したっていうじゃないですか。ストレートティーとミルクティーが1Lずつで、2,000円。送料やら手数料やらいれると、2Lで3,000円近くなるというお値段の「午後の紅茶 Pungency DJ1 Special Box」。

そんなスペシャルな午後ティーが出るなら飲まない手はないよね。ということで、いつもの区民センターに集まって、「パンジェンシーを楽しむ会」をやってみました。

 

香りとか味とか

まずは、ダージリンの一番茶だけでいれたというストレートの方をぐびり。というか、ぐびりの前にグラスを傾けた段階で、

 

ふおわ〜〜〜、すごい香り!!!

 

という、ダージリンらしい青い香りが鼻を刺激します。もしダージリンの1stフラッシュを飲んだことのない方が、この高級午後ティー(ストレート)を飲んだら「なんの香りだ、これは???」状態になるのではないかと思われるほど。いわゆる紅茶香料の香りではなく、まぎれもなくダージリンの清冽な香りが豊かに広がります。これだけで感動もの。

 

で、味ですが、今回10人超で一斉に飲んだわけですが、口をつけて数秒の沈黙があった後、4〜5人が同じタイミングで

「・・・甘い」

って。

 

キリンビバレッジさんの公式サイトでも散々語られていましたが、今回の高級午後ティーは加糖なんですね。で、みんなそれを知って飲んでいるんだけれど、それでも最初の感想は「甘い」になっちゃう。

まあ普段、あまり紅茶に砂糖をいれない人がそろっていたこともあるんだとは思います。それでも、まず「甘い」と思っちゃうほど、渋みよりも甘さが際立っています。

 

で、「パンジェンシー」と呼ばれるらしい「心地よい渋み」の方はというと...。たしかに渋みありますね。甘みの向こうに。僕は結構、えぐいぐらいの渋みが好きなので、物足りないぐらいでしたけど、スッキリとした心地よい渋みが舌に残り、さわやかな味わいになっていました。

 

続いてミルクティーの方もグビリ。

 

こちらもミルクを入れてあるのに、香りがスーッと立ち上って、見事(っていうのも偉そうですが)の一言。ストレートと異なり、ウバを混ぜてあるそうで味もしっかりしていますね。ただ、ミルク嫌いな僕にはグラス一杯分は無理でした...。試飲の翌日にお話しした方は、「あまり良いミルクを使っていなさそうなのが気になった」とのこと。う〜〜ん。たしかに、ここまでこだわったのだから、ミルクもどんなミルクを使ったのか、教えてほしいですね。

 

それでも比較に飲んだいわゆる一般の午後ティーのミルクティーとは雲泥の差。日本語勉強中の外国人に「雲泥の差」っていう言葉の意味を教えたければ、この二つを飲ませればいいじゃんぐらいの雲泥の差。もう高級午後ティー(ミルクティー)は、ダージリンの香りと茶葉の渋みを確保した上でミルクティーらしいまろやかさを兼ね備えた、素敵な飲み物になっていました!

 

 

でもね、でもね、どうしても「紅茶」ではないんですよね。

 

一緒に試飲した方が言ってたんですけど、すごくおいしいし、この値段でこれだけのことをっていう驚きもあるんだけど、「紅茶」を求めると自分でお茶いれた方が早いよねっていう。当たり前だけど。なので、これって究極の「紅茶飲料」なんですよ。

僕の感想としては、「紅茶飲料」が正しく進化を重ねていってすごいものになっていた先にはこれがあります(けれど、「紅茶」ではないですよ)っていう。あくまで紅茶飲料の枠組みの中で進化した飲み物であって、紅茶の枠組みにはないというか。

 

別に「紅茶飲料」がダメで「紅茶」がイイというわけではなくて、単純に別のものだよねということです。フットサルとサッカーは似てるけど、やっぱり違う競技だよねっていうか。なんかそういう感じ。で、今回はすごく上質なフットサルを堪能させていただきましたということでしょうか。

 

お金の話?

ところで、今回の「パンジェンシープロジェクト」。さっきから「高い」「高級」言ってますが、2,000円の商品が10,000セット限定発売。全部、売り切れれば2,000万円です。でも、紅茶界の大物に監修を頼んで、凝りに凝ったサイトつくって、何より生産量の少ないDJ1をたっぷり使って....。2,000万円ではペイしないですよね。ってことは、キリンビバレッジさんの狙いはどこにあるのかしらん????ってことになるわけです。

 

一緒に試飲したティーブレンダーは

「言葉では伝えられない味と香りの「正解」を、こうしたそのままのかたちで日本中に届けられるのは、素晴らしいことだ」

と言ってました。うん、たしかにそりゃそうだ。でも、「正解」が気になる人の手もとに、この高級午後ティーが届くかっていうと、それは届かないよね。マニアしか買わないことぐらい、キリンさんは折り込み済みなはず。じゃ、他の狙いはどこにあるんだろう?

 

僕の素人考えではこのプロジェクトはそれ自体、巨大な宣伝であって、今回の高級午後ティーは「飲んでもらわなくて構わない」んだろうと思うんですよ。意地悪く言えば、飲まれてしまえば、普段の午後ティーの貧弱さが際立っちゃうから、できれば飲んでほしくないのかもしれない。

 

ただ、こういうブログやらクチコミで、

「午後ティーがすごい紅茶出したんでしょ」

「午後ティーが本気になれば、すごい味のが出せるらしいじゃん」

と日本中の生活者に思ってもらえれば、それでOKだと思うんですよ。キリンビバレッジとしては、紅茶愛飲家の裾野を広げることも大事だけど、他メーカーさんの紅茶飲料に圧倒的なブランド力の差をつけ、その王座の地位を決定づけることも大事なんだろうなって。

 

でも実際のところどうなんでしょうねー。キリンの中の方に、本当の狙いはどこにあるの?実際にやってみてどうだったの?って、話を聞きたいですね。すごく聞きたい!

 

「紅茶飲料」は「紅茶」に進化するのかとか、企業の思惑とか、偉そうに語ってしまいましたが、正直、そんなことより、今回の「午後の紅茶 Pungency DJ1 Special Box」は、素直に「すごい飲み物」でした。

 

おいしかったし、面白かったです!

 

みんなでワイワイガヤガヤと、味わう機会をくれたキリンビバレッジさんのチャレンジに感謝です。ありがとうございました。

 

一緒に試飲したお二人の素敵なレポもどうぞー

 

こうや さん

「パンジェンシー」茶会とおいしい時間

 

糀谷 やな さん

2100円の午後の紅茶 パンジェンシーDJ1 スペシャルボックスを飲んでみたよ

 

 

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2011年

7月

13日

Google+を取り巻く人たちへの違和感

 

誰だか知らない人にどんどんとサークルへ加えられていく。

2120、3359、4989、1729、2329、905、3509......

これは、僕を加えた人たちがサークル内に登録している人数。

 

実生活でもtwitterでもFacebookでもその他の場所でも、

この方々と僕は面識がない。もちろん言葉を交わしたこともない。

プロフィールに僕の情報は赤裸々に記してあるけど、多分、彼らはそれを読んでない。

一人ひとり読んで判断していたら、数千人もサークルに加えていく作業は膨大だ

いい大人が2〜3日でそんなことするとは思えない。

 

ということは、彼らは機械的に僕を自分のサークルに加えていった人たち。

 

数千人の投稿が流れるストリームを眺めるためだけに。

誰よりもGoogle+の新しさを楽しむためだけに。

 

数千分の1がTakashi Andoである必要なんて鳥取砂丘の砂粒一つほどにもない。

別にそれが僕の親だって、妻だって、甥っ子だって、後輩だって構わないはずだ。

数千人を抱えるストリームを構成するパーツが欲しいだけなんだから。

 

僕はtwitterもFacebookも結構好きだ。

最近、ちょっと疲れてきたところはあるけれど、

それぞれ僕に新しい交友関係だったり、腐りかけていた旧友との再会だったり、

海外の情報取得のスピード化だったり、likeすることの楽しさだったり、

いろいろなことをもたらしてくれたから。

 

SNSって、人と人がつながるそういうものだと思ってた。

 

でも今のGoogle+を取り巻く人たち

僕をパーツの一つとしてのみ見ているだろう人たちとのあいだに

そういう関係が生まれる気はまったくしない。

 

バカだなぁ、そこでコメントしてみな、+1してみな

新しい交友関係が広がるかもしれないじゃないかという人もいると思う。

でも、僕は彼らを相手にそれをしたいという気持ちにまったくならない。

 

春先に駅で名刺配りをさせられている新入社員。

彼らはとにかくたくさんの名刺を交換することが目的。

相手一人ひとりが何者かなんて、後で確認すればいいやと思ってる。

 

大抵の人は声をかけられても無視するはず。

そんな人と名刺交換なんてしたくないし、言葉だって交わしたくない。

奴らは上司に報告する名刺の枚数がほしいだけだと思ってる。

 

でも彼らとだって、あいさつして、名刺を交換して、言葉を交わせば、

すごく有意義な付き合いが生まれるかもしれないじゃない。

でも、誰もしない。気持ち悪いから。無駄だから。僕だってしない。

 

 

とはいえ、これからもGoogle+は使っていくと思う。

サークルごとに情報流通の切り分けができるのはとても便利だと思うから。

ただサークルがあんまり閉鎖的になってもつまらないので、

プロフィール検索なんかでもっと簡単に共通の趣味を持つ人が探し出せたり、

共有機能で話の合いそうな人が見つかりやすくなるといいなとは思う。

猫画像の共有はもういいや。猫、かわいいけど。もういい。

 

多分、今後もtwitterでは少ポスト、多フォローのスパムアカウントを嘲笑う人たちが、

Google+では我先にと多人数サークルを作って、

そして「Google+を誰より楽しむ15の方法」みたいなエントリーを書き、

そしてはてブを集め、情報の最先端を気取っていくんだと思う。

 

反吐が出る。

 

 

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2011年

4月

24日

希望の地としてのスタジアム

たかだかサッカー。他人がボールを蹴って走り回ってるのを見て何が楽しいのか。大のおとなが大勢集まって、わーきゃー歓声上げて、何をやっているのか。

 

サッカーを知らなければ、そんな風に思うのは無理からぬことです。たしかに自分でボールを蹴るわけでもなければ、ゴールを決めても試合に勝っても、僕らの懐が潤うこともありません。

 

でも、もしそんな風に思う人がいたって、僕らはスタジアムへ足を運びます。スタジアムには、日常では味わうことの少ない歓喜や驚嘆や落胆(ときどき怒り)が満ち、それらをともにする仲間がいます。

 

今週末、Jリーグが再開しました。

 

4月23日土曜日。川崎市の等々力陸上競技場へ川崎フロンターレ対ベガルタ仙台を観にいきました。試合前は川崎サポーターからベガルタ仙台コールが巻き起こるほど、スタジアムは日本のサッカーファミリーらしく激励に満ちたあたたかな雰囲気。でもいざ試合となれば、そこは勝利を求めるスポーツの世界。ピッチ上の選手もスタンドで声援を送る観衆も、熱く激しく、ただひたすらに戦うのみです。

 

川崎フロンターレ 1ー2 ベガルタ仙台

前半37分 田中 裕介(川崎)

後半28分 太田 吉彰(仙台)

後半42分 鎌田 次郎(仙台)

 

最後まで懸命にボールに食らいつきつづけた仙台の選手達が、試合終了間際に劇的な逆転ゴール。ボールへの反応の早さ、相手選手への当たりの強さ、落ちない運動量。

 

フロンターレは言うまでもなくJ屈指の強豪チームです。しかしこの日は、ベガルタの選手達の方が明らかに気持ちで相手を上回り、そして結果でも川崎を上回りました。

 

 

ベガルタ仙台のゴールが決まると、サポーター席には「オー・シャンゼリーゼ」のメロディが響きます。

 

♪オー!フォルツァ仙台!オー!フォルツァ仙台!

 ラララ!ラララ!ラララ!ラララ!ラ〜ララ〜ララララっ、ラ〜ララ〜ラ!

 

23日の等々力陸上競技場では、同点ゴール、逆転ゴール、そして試合終了後の3回。歓喜の歌声が響きわたりました。

 

サッカースタジアムには歓喜の絶叫が響くことがあれば、落胆のため息が折り重なることもあります。喜びの歌や激励のコール。90分間に感情の浮き沈みがあり、それをともにする仲間がいます。

 

ベガルタが勝ったところで、それが直接復興の一助となることはありません。でも、サッカーが感情のスポーツであれば、歓喜や激励や、もしかしたら落胆の向こう側に希望をつむぐ人が必ず生まれ出てくるはずです。4月23日の等々力陸上競技場でもきっと希望の種は生まれたに違いありません。

 

今、希望を持つことが難しい状況にある人たちの気持ちが少しでも動き、そして光がほんのちょっとでもさしたなら、どれほどまでに素晴らしいでしょうか。

 

「AUX CHAMPS ELYSEES(オー・シャンゼリゼ)」は、出会いや楽しさにあふれるシャンゼリゼ通りでの喜びをうたった歌だそうです。スタジアムにも、あの素敵な通りと同じように、希望にあふれた喜びが満ちあふれますように。

 

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2011年

3月

21日

国民の映画を観てきた

 

ここのところネットには、いやネットだけではなくテレビにも新聞にも雑誌にも正しさがあふれかえっている。食料品の買い占めはもってのほか、節電に励まなければいけない...。同じ<災害後の日本人像>を語っても、作家が今回の震災を「希望」だと言えば賞賛され、知事が「天罰」と言えば罵られる。

 

 

 

自然とできあがっていく得体のしれない正しさは僕らから思考を奪い、想像力を蝕み、独善的な判断を増幅していく。もしかしたら、頻繁に買い物には出られない人の買い物かもしれない。もしかしたら過度な節電で収入を失った非正規雇用者がいるかもしれない。でも「買い占め」は悪だし「節電」は善だ。正しさの恐怖が、今この国を覆っている気がする。

 

「国民の映画」は1941年、ナチス政権下のドイツを描いた作品だ。宣伝大臣として映画芸術を統制していたゲッベルスを中心に、信念と欲と忠誠の間で12人の映画人たちがさまざまに揺り動かされていく。休憩時間を含め3時間。登場人物がそれぞれの正しさに突き進み、翻弄され、追い込まれていく。

 

今の僕らは正しさに追い込まれてはいないか。誰かを追い込んではいないか。この作品は3月6日にプレビュー初日を迎えているので、震災が重なったのは偶然だ。しかしそこに描かれている様子は驚くほど今の東京によく似ていたと僕は感じた。

別にここにゲッベルスがいるというわけではないし、誰かが大衆を扇動しているとも思わない。僕だって無駄な買い物はしないようにしているし、できる限り暖房にも照明にもスイッチはいれていない。twitterで想像上の買い占め人をからかい、セ・リーグに文句をつけ、大した知識もないのに東京の放射性物質汚染は大丈夫だと高をくくる。

みんながどういうわけかそこに横たわっている正しさを正義だと思い、誰かが誰かの行動を規定する。こいつなら叩いても大丈夫だというコンセンサスができあがれば、徹底的に攻撃される。なんで攻撃されるかって。それは奴らが正義に従っていないからだ。

 

思考や想像力を失い、モノサシだけを手にした人間はこわい。それは70年前も今も変わっていないように思う。

 

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2011年

3月

10日

共感の作用と副作用

感情を共有する喜びってありますよね。facebookの「Like」もまさにそんな感じ。先日、お話をする機会のあったソーシャルアプリの作者さんも、そんな「場所」をつくりたくて、アプリを開発したんだそうです。

 

自分の書いたこと、自分の好きなものに「いいね」って言ってもらえれば、それがボタンをクリックしただけの賛意だとしても、やっぱりうれしいものです。うれしさはうれしさを呼んで、ネット上にはささやかな善意が拡大していきます。その結果、

 

みんなハッピーだねー!ひゃっほー!

 

ってことになるんだけど、でも最近、ハッピーの輪の外側にも人がいるんじゃないかなぁと思ったりもするわけです。

 

「いいね!」とボタンをポチッとすることだってどきどきする。ましてコメントを残すなんて、会話をするなんて、オフで直接お会いするなんて!!

 

そんな風に気持ちが強ばっちゃうことってありませんか。僕はあります。

 

自意識過剰だって言えばそうなんだけど、コミュニケーションを取りたくても、相手に自分の存在が認知されることが怖い。憧れの同級生に話しかけたいんだけどやっぱり無理みたいなそんな感じ。で、結局話しかけられなくって、直接会うこともできなくって、どよーんと落ち込んだり悲しくなったり。

 

まあね、それは「ぼっち」を選んだ自業自得なわけですけど、それでもやっぱり強ばり体質な人はいるわけです。で、強ばって落ち込んでるだけならいいんだけど、それをこじらせると今度は、「あいつらばっかりキャッキャウフフしやがって・・・」と嫉妬心が爆発するわけです。

 

それがさらにひどくなると、もしかしたら嫉妬心が反発心に変化して、「うっせーよ。ふざけんなよっ」てなことになっちゃうことがあるかもしれません。僕はそこまではなったことがないけれど。

 

SNSで共感を生みやすくなったことは、とてもハッピーなことだと思うんです。

でも、そのハッピーに体を任せすぎて、そこに加われない人を見過ごすことはできるだけ避けなきゃいけないかなって思うんです。

 

SNSで生まれるハッピーな作用に対する副作用。

どんな良い薬も、それが身体に作用する化学物質である以上、見込んだ作用以外の働きが生まれてしまうものです。だから、強ばりから発生する「嫉妬」「強がり」「妬み」「反発」。そんなのも副作用じゃないですかね。

 

じゃ、具体的にどうすればいいっていうと.....

その対策がなくて情けないんですけど、やっぱり自然に振る舞える人から降りていってあげなきゃいけない場面もあるかなと思うんです。

 

仕組みがつくれれば一番なんだけど、それが無理なら心構えでカバーできたらいいですよね。気持ちのどこかに、

「参加できない人が爪を噛んでないかな」

って、思っておくだけで、多少は救われる人が出てくるんじゃないかなと。甘ったれた考えかもしれないけど、そんな風に少しでもハッピーを楽しめる人が増えればいいなと思います。

 

あと、そんな「強ばりさん」を助ける仕組みのあるソーシャルアプリがつくれれば、結構おもしろいかもしれないですね。

 

 

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2011年

3月

07日

インターネットはみんなにやさしいですか

インターネット便利ですよねー。

 

お芝居やサッカーのチケット買ったり、本を買ったり、いろんな人と交流したり、お店の予約を取ったり。あと、僕は公民館の予約もネットで取ったりするので、本当に便利。もうネットがない生活は考えられません。

 

だから、実家の両親なんかを見ていても、

「もっとネットを使えばいいのに・・・」

と思うわけですが、実際のところどうなんだろうなー。

 

「使えばいい」ってのは、もしかしたら強者の論理かもしれませんね。

買い物難民

今、地方には「買い物難民」と呼ばれる方が高齢者を中心に増えています。

このところの不況のあおりを受けて、不採算のスーパーが次々に閉店。近所に買い物のできる場所がなくなり、なおかつ自動車などの生活の足もない。日々の食事の材料を買うのも一苦労。そんな人たちが「買い物難民」です。

 

僕の義両親も近所にスーパーがなくなり、自動車を持っていないので、かなりそれに近い状態です。今は週に一度、訪れる生協の通販に頼っているみたい。

 

で、そんな人たちを見ると、「ネットスーパーの出番じゃん」とネット脳の僕はすぐに思うわけです。PCが難しければiPadでも注文できるじゃんって。

でも、マシンを起動して、ブラウザなり専用appを起ち上げ、目当てのお店へ行って商品を選び、カートの中身を確認し、決裁し、メールで再確認して商品の到着を待つ・・・。

この流れって、慣れてないと案外大変なんですよね。

 

もちろん「ちゃんと買えてるかな」という不安もあるんだけど、それだけじゃなくて、「ネットにつながらない」「なかなか表示されない」「どこに何が売っているのか分からない」「自分が今、どのフェーズにいるのか・・・」などなど。

 

僕らがネットに向き合って無意識のうちに軽々と越えているハードルの一つひとつに、彼らは多分正面がぶつかって倒れ込むわけです。

 

おばあちゃんと割引券

最近、「あれ」だと言われることの多いソフトバンクの「光の道」構想では、

「日本のどこの家庭でも、教育や医療の機会が得られるようになり、将来の教育や医療のあり方に革命が起こります。」

と、光インフラが普及した未来を虹色に描きます。

 

でも断言してもいいけど、今、どんなサービスが日本の隅々まで普及したって、絶対に高齢者は対応できません。

 

過疎地では、行政がタブレット端末を各戸に配布して行政情報などをフォローしていこうという話が出たり消えたりもしているなんて噂話を聞きますが、そこで大事なのは信じられないぐらい簡単なUIの実現とトラブル対応の態勢づくりです。

 

そして、簡単なUIを実現するのはもちろんまったく簡単なことではありません。

先日、ラーメン屋さんで割引券を手にしたおばあちゃんが、懸命に割り引き内容を店員に確認していました。割引券には

「ラーメン大盛り無料 または 味付けたまご半額」

と書いてあったようなのですが、「無料」と「半額」が頭の中で入り交じって、なかなかおばあちゃんは理解できません(店員さんの親身な対応で最後には理解しているようでした)。もちろん、そのおばあちゃんは、横から見ている限り、非常に元気で話す言葉はしっかりとした感じの方でした。ただ、人間、年を重ねていくと、嫌でも柔軟な理解力が損なわれてしまうものなのです。

 

これから「買い物難民」をなくし、スムーズにITインフラを整備していくためには、そんなおばあちゃんやおじいちゃんを基準に、彼らにも使えるもの。彼らが戸惑わないものを整備していかなくちゃいけないと思うんです。

 

OSだとかハードのスペックだとか通信技術だとか。そういうのは必要なんだけど、僕らが下水管のスペックに詳しくなくてもトイレが使えるように、別に表立って伝える必要のないこと。

それよりも本当に誰でも使えるやさしいインターネットが実現するといいなと思うわけです。

 

ちょっとした説明だけで、田舎のおばあちゃんも簡単に買い物ができることこそが、僕らの未来なんじゃないですかね。

 

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2011年

2月

12日

縁を選ぶ人々

昨日と今日もNHKで「無縁社会」の放送があったそうで。

そういえば今年に入ってから朝日新聞が「孤族」なんていう、流行語狙いの後追い企画をやってたりもしますが、現代社会には孤独な人が増えてるのでしょうか。

現代に生きる僕は現代のことしか分からないので、孤独な人が増えているのかどうkは正直分かりません。

 

もし現代社会に「無縁」が増えてるんだとしたら、それは縁を選ぶ「選縁」な人たちから拒絶されることに対する防御装置としての「無縁」が増えているんじゃないかと思うんですよね。それは、「選縁」の副産物としての「無縁」と言ってもいいかもしれません。

 

防御装置としての「無縁」(「選縁」の副産物としての「無縁」)というのは、「どうせ後から傷つけられるぐらいなら最初から縁など求めません」ということです。

 

少し僕の話をします。

 

僕は見た目にもパッとしませんし、仕事ができる雰囲気もお金を持っている雰囲気もありません。話が上手いわけでも、笑顔がかわいいわけでもない。なので、仕事関係のパーティーやネット上で知り合った人の集まりに行っても、華もなく、誰かと会話をしたところで相手のうんざり感をひしひしと感じてしまうわけです。

 

でも、それでも、気力を振り絞ってその場をにこやかに乗り切ったとしてもですよ、後からメールをしたり、twitterで話しかけたりしても相手の反応の薄いこと! 以前など、実際にお会いした方に"dare?"っていうリストに一人だけ入れられてましたからね(笑)。

 

幸い、僕は比較的心がタフなので、そういう目にあっても、人と会うことを止めようとは思いませんけれど、「そんな目にあうぐらいなら、出かけなくてもいいや」って思う人はいても不思議ありませんよね。

 

 

僕らは誰かと出会うたびに、メリットやら旨味やら面白みやら著名性やら...。そんなものばっかり求めてはいないでしょうか。それが、防御装置としての無縁を呼んでいるのではと思うわけです。

 

ん、NHKや朝日新聞のいう「無縁(孤族)」ってのは、看取りの人がいないって話だけなのかな・・・。

でも自分が死んだら誰が看取ってくれたかは分からないわけで、それよりも今をどうつながって生きていくかの方が大事じゃないですかね。

 

 

 

 

 

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2011年

2月

07日

Jリーグ特命PR部はつぶれればいいと思うよ

昨年(2010年)7月にスタートした「Jリーグ特命PR部」。あまねく世間に知られるということはなかったものの、ネットの世界にいるJリーグファンには広く知れ渡り、3,800名を越える「特命部員」を集めたそうです(2月8日現在:3,889名)。

 

Jリーグを報じる場には、木下優樹菜部長を送り込み、女子マネ足立梨花さんは全国のスタジアムを行脚。これだけ大規模なPRキャンペーンですから、もちろん立派な成果も残しています。それも1つだけじゃない、2つもです!

 

1つは、足立梨花さんの発見!

 

今やJリーグおたくには「あだっちー」の名を知らぬ者はいないんじゃないかという大活躍。つらい表情一つ見せず、楽しそうに全国のスタジアムを巡り、グルメや応援風景をレポートする様子は大いにファンの心をつかんでいます(同時に木下部長の失墜という成果もセットに上げられますが、まあ、そこは、それ...)。

 

そして2つめの成果は、カンボジアの小学校に451枚ものサッカーユニフォームを寄贈したことです!

 

J's GOAL」で紹介されている子供たちはととてもうれしそうな笑顔で、本当に心が和みます。ユニフォームを提供された一人ひとりのサポーターの心はきっと子供たちに届いたことでしょう。

ユニフォームを持って行くスタッフが道中、「ボールがほしい」と学校側に頼まれ、急遽ボールを買ったなんてこともあったようですが、この「Jリーグ特命PR部」という企画を取り仕切っているPRユニット、オガワカズヒロさんも「胸が熱く」なったそうで何よりです......。

 

 

で、Jリーグの観客はそれで増えるの?

 

 

カンボジアの子供たちが喜んだのは、それは間違いなく素敵なことです。超長期的に見れば、彼らの中からJリーグファンがちらほらと生まれるかもしれません。さらに、このトピックが一般のメディアで報じられれば、国内の非サッカーファンがJリーグを見る目が変わるかもしれません。

でも、それって、「Jリーグ特命PR部」の本筋なんですかね?

 

 

昨年7月のJリーグ特命PR部員募集開始のプレスリリースには次のように記してあります。

 

2010Jリーグ特命PR部とは、一人でも多くの方々がJリーグやサッカーに興味を持っていただくことを目的に、「2010Jリーグ特命PR部 部長」であるタレントの木下優樹菜さん、「2010Jリーグ特命PR部 女子マネージャー(略称:女子マネ)」であるタレントの足立 梨花さんと共にJリーグとサッカーの魅力を広めるためにつくられた部です。

 

Jリーグおたく同士がブログ書いたり、ハッシュタグ(#J_toku)つけてTweetしたり、古着集めてカンボジアに贈る。

 

それで、「Jリーグとサッカーの魅力」は広まるんですか?

 

心をこめてユニフォームを贈られたサポさんや日頃、ブログやTwitterで情報発信しようと頑張ってるサポさんには申し訳ないけど、JリーグがPR会社のオモチャにされてるだけにしか見えない「Jリーグ特命PR部」なんてものは、一刻も早くつぶれてしまえばいいと思います。

 

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2011年

1月

10日

スポーツ中継を見て感じた3つのこと

今日の高校サッカー決勝でお正月のスポーツラッシュもひと段落でしょうか。

と思いきや、まだサッカーのアジアカップが続くので、スポーツが苦手な人にはもうちょっとうるさい季節が続くかも...。

 

で、うるさいといえばテレビのスポーツ中継ですけれど、お正月から今日までテレビ画面を眺めていて感じたことをいくつか残しておきたいなと思います。

●物語

みんな物語がそこにあれば、それを楽しもうと思うんですよね。

で、箱根駅伝はもう、物語の宝庫なわけです。

 

成長、挫折、栄光、友情、勝負...

 

ジャンプのマンガ並に物語にあふれてる!

アナウンサーがちょこちょこ挟む言葉の数々も、物語を補強するナレーションだから、みんな気にならず、恩師の話や前日の様子も楽しく聞けちゃう。


もちろん駅伝という時間が有り余る競技特性もあるけれど、アナウンサーが語るすべての言葉は、箱根の山やシード権争い、繰り上げスタート、優勝争い、それらのためのドラマスパイスなのでウェルカムなんですね。

 

よく言われることですが、日テレのサッカー中継はこのスパイススタイルを用いています。でも駅伝とサッカーでは競技リズムが全然違うし、サッカーの単独試合では箱根ほどドラマイベントが盛りだくさんじゃないから、どうしても浮いちゃうんですよね。

 

●ルール

一方、アメフトやラグビーなんかでは、物語以前にルールが分からない!

どの選手が何をして、その背景に何があろうが、ルールが分からないから感激しようがない!

 

なのでNHKの実況はルール説明よりなスタイルなんですね。

 

スポーツ好きとしては、そろそろルール説明なんか省いたマニアな実況スタイルにしてもいいのではとも思うのですが、不特定多数の方に見てもらうことを前提としたHKではそうもいかないのでしょう。

 

で、「お正月一大物語」がお目当てのお茶の間の皆さんは、ルールが分からないスポーツなんて見やしないわけです。

よって学生ラグビーなんかは特に1月の風物詩なわけですが、注目度が落ちているんではないですかね。

●解説

どのスポーツ中継を見ていても「何だかなぁ」と思うのが解説陣の皆さん。

アナ「今の攻防で得点が入らなかったのは、なぜでしょうか」

解説「守備陣が非常に上手く守りきりましたね」

 

・・・・こんなアホみたいな会話があらゆる競技で繰り返されていました。

アナウンサーが僕らの代わりに聞いてくれてるのは、「なんで守りきれたか」という「原因」なのですが、解説者は目に入ってきた「現象」しか言葉にできない。

 

実はこれって、日本のスポーツ界が抱える病気と根は同じなのかなと感じています。

 

ことあるごとに「攻めの気持ち」「自分たちの戦い」を繰り返す選手達。きっと指導者がミーティングでそれを口にしているのだとは思いますが、そこにどれだけの具現的なイメージがあるのやら。

 

選手、指導者時代に身体動作や戦術を言語化できなかった人が解説者になった途端、言葉を巧みに操れるわけもなく、結局「現象」を口にするしかないわけです。

 

もっとも身体動作や戦術の言語化は指導者競技者のみならず、スポーツ記者やスポーツライターも非常に苦手な分野で、日本のスポーツライティングに異常にウエットな情緒的描写が多いのは、身体を言葉にすることが皆、苦手だから(と、客が物語を求めているから)だと僕は考えています。

 

 

まあ、そうは言っても出不精な僕としては、こうしてテレビでスポーツ中継をしていただけるのは、本当にありがたいことなのです。うるさい実況は音を消しちゃえばいいしね。

 

でも、スポーツを言葉にできない時代がいつまでも続くと、この国にスポーツはいらなくなっちゃうぞとも思ってしまうわけで。

 

民主党のスポーツ議連の皆さんがスポーツ省設立に力を入れていくみたいですけれど...

 

役所ができてみんなが豊かにスポーツ観を抱けるといいですね(棒

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2010年

12月

30日

希望をともすソフトボール部を見ました

石川県立門前高校の女子ソフトボール部を3年間にわたってていねいに取材したドキュメンタリー「私たちの時代」をみました。大地震に見舞われ、悲嘆に暮れながら、明日を目指すソフトボール部の女の子たちを追った作品。

高齢化過疎化が進む町にあって希望の灯となる女子ソフトボール部。

2007年3月25日に門前町をおそった能登半島地震。

絶望の中に希望を求める人々。

定年を間近に控えた名監督と選手を激励するコーチ。

数年後の廃校決定。

実力伯仲の好敵手、津幡高校。

1年生にポジションを奪われる3年生。

熾烈を極める高校総体決勝戦。

 

これらに部員個々の家庭のエピソードが加わって、「人生ってそんなにいろんなことが起こるの」というぐらいのお腹いっぱいドキュメンタリーでした。

 

個人的に非常に興味をもったのは、元気のない町でのソフトボール部の存在感でした。

 

過疎が進むお年寄りばかりの町。失礼ながら、娯楽もなければ、活気もない。そこに襲った大災害。地域の人々は、どれだけ彼女たちの活躍に希望の灯を見たのかなと。

スポーツは感情が積み重なる装置なんですね。希望も願望も夢も絶望も達成感も、非常に分かりやすい形で人々を巻き込んでいくのがスポーツなんです。選手たちが懸命であればあるほど、応援する人たちもその熱にあおられていく文化装置がスポーツなんです。だから、門前町の人たちは彼女たちの活躍に巻き込まれていったんだろうし、彼女たちの奮闘は人々を励ますことができたんじゃないかなと思うわけです。

 

そこにスポーツチームがあるからといって、若年人口が増えるわけでも、壊れた家が直るわけでもありません。まして彼女たちの活動は高校の部活動。成果を残したところで、町にお金が落ちるわけじゃありません。でも、そこに門前高校の女子ソフトボール部があり、懸命にボールを追う彼女たちのおかげで勇気づけられた人がたくさんいるんですよね。

 

部員や監督、コーチのみならず、門前町の人々や家族、ライバル校の部員たちにまで、丁寧に取材を行った本当に濃密なドキュメンタリー番組でした。終盤に部員の子たちが次々に吐露する道徳的価値観は、ちょっと体育教育の悪しき部分を見せられた気もしますが、地域におけるスポーツチームという側面から非常に興味深い番組でした。

 

取材し番組を制作されたスタッフの皆さん、ありがとうございました。

 

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2010年

12月

28日

努力は結果に結びつくという嘘

人の努力の割合に応じて(境遇に)差が生じるのは当たり前です。

と、勝間和代さんが「勝間対談『もっと“格差”が必要です』」という記事でおっしゃっています。

 

本当にそう思っているのでしょうか。

 

 

 「日本はもっと格差があったほうがいい」という話も出ました。人の努力の割合に応じて差が生じるのは当たり前です。それまで否定するからおかしくなってくる。機会平等の保障は必要だけど、結果平等を保障するのは違います。もちろん、今の日本は結果平等を保障しているわけではないので、結果は人の努力によって変わるのですが、うまく結果を出した人をみんなで叩くというよくない風潮がありますね。

「勝間対談『もっと“格差”が必要です』」より引用

 

 

この部分を読んで、おかしいなぁ、納得いかないなぁと僕は思うのです。人は努力だけで結果に結びつかないことを僕は知っています。優れたアウトプットを生みだし、金銭的な「結果」を得るためには才能と運に恵まれなければならない。努力しただけで結果はついてきません。

「結果は人の努力によって変わる」のではありません。才能と運によって変わるのです。

 

上図のそれぞれのエリアには下のような人が当てはまります。

 

A:才能にも運にも恵まれた人

B:才能はないけど運に恵まれた人

C:才能はあるのに運に恵まれない人

D:才能も運もない人

 

スポーツライティングの世界で例えれば、

名のある書き手の中で、文章力の豊かな方が「A」

選手と知り合いだ、過去に偶然ヒット作を出しただけな方が「B」

書き手の夢は諦め、1ファンとしてスポーツ観戦を楽しむ「C」

ちょっとブログとかも書いてみるスポーツ好き「D」

という感じでしょうか。

 

 

世の大半の方がCorDに所属するわけですが、スポーツライティングで身を立てるために努力するというのであれば、皆、少しでもY軸方向に上昇できるように、スポーツに対する表現力や観戦眼の向上などに「努力」するでしょう。でも、そんな努力は普通、「A」に近づくという結果には結びつきません。多少、右側へと移りやすくはなるでしょうが、左半分から抜け出せないという結果は努力では変わらないのです。

 

一方でたまたま、たとえば選手と知り合いで独占インタビュー記事を書く機会があった、新メディアの記者募集に採用され発表の機会を与えられたなど、何かの折にスポーツメディアに入り込み、そこで居場所を確保しさえすれば「B」のエリアで業を営んでいくことができます。もちろん、その運を獲得するために、それぞれ人脈拡大や記者募集に応募するなどの「努力」はしていることと思います。もちろん縦軸方向に上昇する努力もしていることと思います。

僕は別に「B」にいる人たちがズルしてるとも楽してるとは言いません。ただ、僕が言いたいのは、彼らの努力が横軸方向の推進力に結びついているのは「運」だということです。

 

僕が昔、憧れていた(いや、今でも憧れてます)というだけの理由で、スポーツライティングの世界を例に考えましたが、これは一般のビジネスパーソンの世界でも変わらないのではないでしょうか。

上司に認められた

大きな成約が取れた

新卒採用の多い時代に生まれた

迷った末に入社を止めた会社がつぶれた

............

 

金銭的な結果を得ている人は運のいい人なんです。そこに僕らの「努力」はどれだけ関係しているというのでしょうか。「努力」にはきっと2種類あるのでしょう。一つは縦軸方向に技量をみがく「努力」。僕がすぐに想像する努力はこちら。もう一つは横軸方向に運を呼び込むための「努力」です。

 

想像するに、冒頭の勝間和代さんの「人の努力の割合に応じて差が生じるのは当たり前です。」という文章は(私は努力している人を見捨てていませんよ)というエクスキューズを表現するために「努力」という言葉をあえて用いているのだと思います。でも「努力の割合で差が生じる」のではありません。差が生じるのは「運の割合」によってです。今のまま「結果は人の努力によって変わる」社会を築いたら、皆が「D」から「B」を目指す横軸の努力をすることでしょう。そんな国に、どれだけの未来があるというのでしょうか。

 

僕は努力した人が報われる社会というのはあり得ないと思います。努力したって「D」から「C」へ上がっていくことがままならない人は大勢います。大切なのは「C」に生きる人々が正当に評価される社会を築くこと。そして、「自分は『C』へ上がることもままならない」と感じたら、次のフィールドへすぐにトライする。何歳になっても、男も女も関係なく、新しいフィールドへ移ることができ、挑戦しつづけられることではないでしょうか。

 

もちろん「D」でありつづける人のために、勝間さんがおっしゃるようなベーシック・インカムが整備されていることも重要です。でも、「努力が結果に結びつく」なんていう欺瞞をいつまでも抱えていることは、かなわぬ願いに身を縛られつづけるだけで不幸なことです。

人が能力によって正しく評価される社会になること。そして、そこから運をできる限り排除するために、年齢や性別による差別がなくなり、さまざまな分野に何度でも挑戦可能な社会であること。それが、僕の思い描く、努力が尊ばれる社会です。

 

 

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2010年

12月

24日

一家に一台と一人に一台の値段

文章を書く際に気をつけていることがあります。それはなるべく同じ言葉を繰り返して使わないようにということ。たとえば

「AAスーパーでは割引販売を行っており、来店客はその割引率に驚きながら...」

ではなく、

「AAスーパーでは割引販売を行っており、来店客はその販売価格に驚きながら...」

というような感じ。異なる表現を用いて文章の平板化を避けることで、少しでも読みやすい文章になるように心がけています。

 

そんな際に役に立ちそうな道具が「類語辞典」。あったら便利かなぁと思いつつ、これまであえて買うということはありませんでしたが、ここに来てちょっと気になる商品が。三省堂の出したiPhoneアプリ『三省堂 類語新辞典』です。

 

ニュースサイトのレビューを読むと検索性が高いようで、「表現力をつける魔法の杖になってくれるんじゃないか」なんて淡い期待も抱いてしまいます。もちろん、そんな魔法はないことは分かってるんですけど、技量の乏しい者は魔法にでも頼りたくなるのが常というもので...。

たた、ちょっと気になる点が一つ。それは、iPhoneアプリだということです。

 

アプリだからこそ、僕は欲しいなと感じたわけで、検索性が高いし、どこへでも持ち運べるし、履歴が残ったり、語句比較ができたりと機能はとても充実しています。でも、一人でしか使えませんよね。二人暮らしの我が家で二人で使おうと思ったら、iPhoneを貸し借りするか、2つ買わなくちゃいけない。う〜〜ん、せこい話ですが気になるところです。

 

これまで「一家に一台」なものってたくさんありました。テレビはもちろん、百科事典とか画集とか、電気ポットとか急須(ティーポット)とか。電話もそうですし、まあ、他にもいろいろ。でも、今はそういうものがどんどん家族内でも個人所有になっている気がします。良いとか悪いとかじゃなくて、所有の形態が大家族から核家族に移り、そこから今は個人へとさらにシフトしています。

 

そんな変化の時代にあって、物の価格設定というのは変わらないんでしょうか。一家に一台なら1万円だったものが、一人に一台なら5千円とか。類語辞典が紙だったらわざわざ二冊買う家はないと思うんですよ。割引販売じゃないけれど、消費の仕方が変わっている時代に、販売はどう変わるのかななんてことが気になってしまいました。

 

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2010年

12月

23日

SNSでつながりますか?

twitterやmixi、tumblrでもInstagramも...。なんだっていいんだけど、僕らはwebサービスを使うときに当たり前のようにIDを取得します、特にこの数年。直接、会話ややりとりをする際もIDやスクリーン名が基本で、僕も「のりさん」と呼ばれることに最近、慣れてきました(が、本来、それは父親の名前だw)。

「のりさん」なり「のりじゅにあ」なりと呼んでくれる人が増えてきました。人に認識されるということは、恥ずかしげもなく言ってしまえば、本当にうれしいことです。でも、「のりさん」と呼ばれているうちは、本当に僕を認識してくれているのか、僕が受け入れられているのか不安だったりもします。

 

SNSでのスクリーン名はあくまでも別人格(あるいは人格のほんの一部分)だという話ではありません。生活情報を垂れ流している僕にとって、それはあまり気にならないし、twitterにいるのは僕自身だと断言できます。そうではなくて、スクリーン名というものがSNSというサービスに依存したものであるということに、ザラザラとした印象をおぼえるのです。

 

たとえばtwitterで僕とつながっている方がいるとします。日頃から仲良くしてくれて、実際に飲みに行くことも幾たびか。それぞれの趣味も知ってるし、仕事も知っているし、何だったら好みの異性だって恋愛事情だって知ってるかもしれない。でも互いに本名も電話番号も住所も知らないわけです。だって、知る必要を感じないんですから。

 

名前はtwitter上で呼び合う名前があるし、連絡もtwitter上でできる。実際に会って話をしてるし、互いにいろんなことを知っているから近所の人なんかよりもよっぽど信頼だってできます。名前すら知らないのに。

 

彼(彼女)にとっては、僕は「のりじゅにあ」であって、「安藤 崇」ではないんですね。だから、僕がtwitterで@NoriJrというアカウントを消滅させてしまえば、関係はそこでプツリと切れてしまいます。マルチSNSで交流していても、アカウントを消す手間がちょっと大変なだけで同じですよね。そして、相手が消してしまえば消された側にはどうしようもありません。

 

一方で僕を「安藤 崇」としてつきあっている人はどうでしょう。一度、関係が途切れても、共有の友人や過去の連絡履歴から交流が復活することもあるでしょう。e-mailが久々に届いて仕事が発生したり、年賀状で細々とつながっていたり、故郷の友人と再会したことから交流が拡大したり、そんなことがあっても不思議ではありません。

 

 

まあ一朝一夕にそんなコミュニケーションは築けるわけはなく、地道に地道に積み重ねていくしかないわけですよね。僕はskypeは使っていないけど、skypeのシステムがダウンしただけですごく不安を感じた人もいるみたいですし。「のりさん」から「安藤 崇」へ移行すればそれでいいってなものでもないんでしょうけれど(facebookではそもそも実名ですし)、「twitterにいるパンダアイコンのネガティブな人」からもうちょっと先に進めるようになれたらいいな。そんなつながりが少しでも生まれればいいなと。

 

考えたことでどうなるものでもないけど、今年最後の祝日にそんなことを考えていました。

 

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2010年

12月

22日

電子書籍端末って何を選べばいいのさという方へ(超初心者編)

※本記事は2010年12月のものです

今年後半になって、雨後の筍のように電子書籍用端末(電書端末)がたくさん現れました。正直、現れすぎです。バカじゃないのってぐらい、いっぺんに出てきました。

 

「こんなに続々と現れるのは業界団体が・・・」という話は、もうすでに賢い人たちがたくさんしているので横に置いておきまして、「じゃ、どれを買えばいいのよ!」という方のために、主要製品の比較表をつくってみました。

何に使うの?

何の家電を買うにしても大事なのが「何に使うの?」ということです。まあ、電書端末買う方は「本を読む」のが主目的だと思いますが、もうちょっと突きつめて考えましょう。

 

  • 小説やビジネス本など単行本だけを読むの?
  • 雑誌も読みますか?
  • ゲームやインターネットができるとうれしい?
  • 家で読む?持ち歩く?

 

これらの行動を具体的にイメージすると自分に合ったものが見えてくる...かもしれません。

 

たくさん持ち歩いて単行本を中心に読む人→電子書籍専用端末

家や会社が中心。雑誌(写真誌)なども読みたい人→タブレット端末

 

というのが、基本的なイメージかな。

 

表示や操作感

さらっと「基本的なイメージかな」とか言っちゃいましたが、電書端末には大きく「電書専用」機と「タブレット(スレート)」機という全然違う2種類の機械があるわけです。

 

後者の「タブレット」というのは、iPadみたいな奴ですね、これはまあ言ってみれば「ほぼパソコン」です。パソコンのキーボードを取っ払った奴です。なので、

  • 画面はフルカラーでキレイです。雑誌の写真なんかも、とてもキレイに見えます。
  • よくテレビなんかで見る「指でグィーンって拡大したりするやつ」もできます。
  • でも、教えてくれる人がいないと、慣れるまでは操作が難しいです。
  • あとiPadは電車で片手持ちがつらい程度に重いです。

 

一方「電書専用」機は、「電子書籍を読む専用」です。

  • 白黒です。
  • 指を使っても「グィーン」ってなりません。
  • なので派手じゃないし、小さい文字が読みづらいので雑誌には向きません。
  • 文字を大きくしたり小さくしたりは、あまり得意じゃありません。できますけど。
  • でも「すっごく紙っぽく見える技術」を使ってるので、目に優しくて読みやすいです。
  • 正直、初めて見ると「これ紙じゃないの?」と思います。
  • すごく明るい昼間の外でもちゃんと読めます。
  • 軽くて持ちやすいです。

 

書籍を手に入れる

さて利用場面や機械の違いがボンヤリと見えてきました。さて、次は読みたい本をどうやって入手するかです。ここは語ると長いのでサラッといきましょう。

 

今、シンプルに単行本の配信を受けられると考えられてるのは、「Reader」(SONY)、「liblio leaf」(KDDI)、「GALAPAGOS Tab」(SHARP)の3機種です。企業連合がどうとか、出版社がどうとかありますが、分かりやすく言えば、

  • この3機種は専用の本屋を持ってます
  • その本屋にはそれなりに本がそろってます

ということです。

(でも、出版社がどのぐらい「本屋」に協力的か分からないので、現時点でどの程度「ちゃんとした本屋」になるかは不明です)

 

それ以外の機種でも単発の実験(村上龍さんがやってるのも、この類ですね)はあったりしますが、まだまだ本のラインナップを充実させるには、情報収集力や自分が持ってる本を電子化する「自炊」の技術が必要だったりします。

 

でも著作権が切れてる古い本(主に近代文学ですね。夏目漱石とか森鴎外とか中島敦とか)だけだったら、iPadでも簡単にたくさんたくさん読めたりします("iPad 青空文庫"で検索してください)

 

いくらかかるの?

電子書籍を読むためにお金がかかる場所は大きく3カ所あります。

  1. 電書端末代
  2. 書籍代
  3. (携帯)通信代

 

1.電書端末代


これはここまで散々お話ししてきた機械の代金ですね。基本的には最初に数万円払ったら、それっきりです。携帯会社によっては、"3"の通信代とセットで分割になることもあります。

 

 

2.書籍代


電子だろうが何だろうが、書籍を買うにはお金がかかります。現在の相場としては[無料〜1,500円]ぐらい。1,000円前後が中心で、雑誌や新聞などは月額いくらの定額サービスがあったりします。

 

 

3.(携帯)通信代


書籍を端末に落とす(データを機械に入れることを「落とす(ダウンロードする)」と言います)のに、携帯電話会社の通信網を使う場合には、通信代がかかります。これは定額制のところがほとんどで、auは525円/月(契約後2年間は解約手数料が1万円弱かかる)、docomoやsoftbankはデータ量等にもよるけど約5,000〜7,000円/月かかります。

auだけ異常に安いのは、電子書籍専用(本屋以外はほとんどつながらない)プランだからです。

 

で、「家や会社のインターネット回線だけで使うよ!」という方は、もちろん、この月額の通信代はかかりません(家や会社のネット通信費はかかりますが、電書用に新規で契約する必要はありません)。

 

パソコンとの連携

どの機械もパソコンと連携すると、本を追加したり、分類したり、削除したり、整理するのにとても便利です。で、電書端末でできることが増えれば増えるほど、(整理する情報が増えるので)パソコンとの連携も重要になってきます。特にiPadは、パソコンがないと機能をフルに堪能できないので、パソコンを持ってない方には厳しいかもしれません。

 

逆に電子書籍専用の白黒くん達は、シンプルな機能が売りなので、そんなにパソコンに頼らなくてもやれることはそれほど変わらなかったりします。

 

まとめ(とりあえず)

と、まあいろいろ書いてきました。少しは情報整理のお役に立てたならうれしいんですけど。どうだったでしょうか。

本当は他にもファイル形式(pdfだとかXMDFだとかePubだとかAZWだとか...)や閲覧形式(ダウンロード型がストリーミング型かとか)、自炊のコストなんていう話もしたいのですが、ややこしいので、また日を改めて。

 

 

個人的にはkindle3とiPadを持っているので、これで今、取ってる新聞が読めれば新聞紙の処理に困らずにすむのになーとか思ってます。

 

あと、これだけは大事っていうのを一つ。

「今、本を読んでない人は、電子になっても読まないよ」

 

・・・だから、焦って買わなくても大丈夫だと思います。

 

(↓の表はクリックすると大きくなるので、見てみてくださいね)

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2010年

12月

21日

Jリーグは外国籍選手枠の緩和を

帰りの電車のお供にと購入したサッカーマガジン

特集は「欧州思考 ニッポンを強くする男たち」

 

欧州に移籍したい気持ちの「志向」でもなく、欧州に移籍しやすい制度的な「指向」でもなく、「欧州『思考』」なのは、選手たちが何を考えているかに焦点をあてているからでしょうか。

ひときわ華やかで、注目度が高く、サッカーのレベルが高く(本当にそうなのか、僕には分からないけれど)、日本より収入も得やすい。

ワールドカップ以降、国内の選手たちが続々と欧州へと仕事場を移しています。

 

今夏以降、すでに欧州移籍を果たした有名選手は、

香川(C大阪→ドルトムント)

内田(鹿島→シャルケ)

川島(川崎→リールス)

永友(FC東京→チェゼーナ)

阿部(浦和→レスター)

矢野(新潟→フライブルク)

 

さらに、今オフ、家長(C大阪[本籍G大阪]→マジョルカ)の移籍も決定。さらに、岡崎(清水)や細貝(浦和)にも海外移籍の噂があるようで。よくもまぁ、こんなに次から次へと、ヨーロッパへと選手が旅立つものです。

 

国内のJリーグをメインに応援している立場としては、こうも次から次へと選手たちが「欧州へ行くことこそ正義」といわんばかりに、日本を離れていくのは寂しいし悲しいことではあります。けれど、まあ働く場所を選ぶ主導権は彼らにあるわけで、応援させてもらってる身としては悪口を言うわけにもいきません。

 

でも国内リーグはどうするんでしょう。

ただでさえ「チーム数が増えすぎてレベルが低い」なんてことを言われるのに、もしも100人単位で選手が渡欧したら、三流選手しか国内に残らなくなってしまいます!

 

100人なんてあり得ないと思うかもしれませんが、この夏以降だけで10人前後の選手が海を渡っているわけで、これから爆発的に日本の特に安く買いたたける若手が、ヨーロッパに進出する可能性だってぬぐいきれません。今年の宮市(中京大中京→アーセナル)のようなケースが、グンと増えるかも。

 

そうなる前に僕は、外国籍選手の枠を緩和してくれないかなぁと夢想するわけです。「Jリーグ思考」の選手を増やせばいいのにと。こないだクラブW杯を制したインテルミラノのスタメンにはイタリア人はいませんでした。でもミラノの街やドーハのスタジアムでは、青と黒の装束に身を包んだ人たちが声を枯らして自分のクラブを応援していました。

 

僕は仮に名古屋のスタメンが全員日本人じゃなくなっても、そりゃあちょっとは寂しいけど、応援できる自信はあります。

 

日本を飛び出す選手に自由を与えるんなら、日本に来たい選手にも自由を与えてあげられないものかなと思うんですよね。

もっともブラジルの景気がいいみたいで、景気の悪いJリーグがブラジル人選手を獲得するのも難しくなっているようですが、ここは一つ、外国籍選手枠の緩和を夢見て、欧州へ渡った選手たちの活躍を見守りたいと思います。

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2010年

12月

20日

twitterを全力で楽しむ。でも疲れるよ

道徳の時間に感じたくだらなさと同じにおいが、twitterから漂ってきます。

 

twitterでときどき流れてくる名言とか教訓が嫌いなんですよ。

名言botとか、仕事を得た教訓を自分がビジネスの神にでもなったつもりで、

教えを垂れ流そうとしてる人たちの言葉ですね。

 

もっと言うと、それで「学んだ」気になってる人も嫌いなんですよ。

いきなり恨み言でアホみたいですが、たった1フレーズ、

しかもネットのボタンをクリックしただけで人間は変わらないでしょ。

 

いきなり、こんな感じの悪い話をしたのは、

コグレマサトさんといしたにまさきさんの共著

「マキコミの技術」を読んで、感想を書かなくちゃと思ったからです。

(※「マキコミの技術」はとても素敵な本です)

 

もちろんこの本に、胸くそ悪い人たちが詰まってるわけじゃありません。

 

「マキコミの技術」はSNSやブログを活用して、他者との交流を広げ深め、

そして楽しんでいきましょうという内容で、巻き込むことも素敵だけど、

巻き込まれることも素敵だよねというエピソードが存分につまっています。

 

 

で、さっきの「学んだ」気になっている人たちだって

「巻き込まれ」組なんですよ。

 

名言や有名人の一言に心を打たれて、それを素敵だと思い、

そして、皆にも知ってもらいたいと思ってRTしたりしてる。

1フレーズの言葉に巻き込まれて、周りを巻き込もうとして、

それってSNSらしさじゃないのかと言われればそうかもしれません。

 

でもね、お手軽すぎるんですよ。軽いの。頭、悪そうなの。

 

ネットだリアルだっていうけれど、ネットだろうがリアルだろうが、

言葉の向こうには人がいて、それぞれに悩んでるし、努力してるし、

楽しんでるし、笑ってるし、泣いてるし・・・。

 

そういうものを全部、取っ払って、

「はい、お待ちっ!名言一丁!」

って言われたって、僕はイラッとするだけなんです。

 

マキコマレのコツ

SNSの巻き込み・巻き込まれをエンジョイしようと思ったら、

真剣に、というと大げさだけど、自分自身のかっこいいところも

かっこわるいところも、頭良いところもバカなところも、

全部、さらけ出していった方がエンジョイできるんじゃないですかね。

 

で、学びにつながったか、成長できたかなんて、あくまで結果。

「マキコミの技術」の中でも、著者のお二人が本を書いたり、

講演するようになったのはあくまで「結果」だと何度も書かれています。

 

マキコミ(マキコマレ)のコツって、

エンジョイすることだと思うんです。オンラインでもオフラインでも、

楽に見返りを得ようなんて思わずに、ただ全力で楽しむ。

 

 

「マキコミの技術 第3章」のタイトル

「つながりを育てる『ギブ&ギブ』の精神」

は、まさにその通りだと思います。

 

「学ぼう」とか「成果を得よう」とか「人脈を...」とか、

そういうことじゃなくて、自分が楽しむことで人に喜びを提供する。

そんな姿勢が、ネットで喜びを得る大事なことなんだろうと感じています。

 

それは自分が紅茶大会をやって感じたのも同じこと。

で、ここ最近、自分が楽しめなくなってきたので、今は少しお休み中。

 

それと、ずーーっと全力だと疲れちゃうから、ときにはtwitterを離れたり、

別アカウントを使ったり、FacebookやTumblrでホッと一息ついたり。

そういう休息もすごくすごく大事だと思います。

四六時中、巻き込んだり、巻き込まれてれば良いってもんでもないでしょう。

 

僕はtwitterという場が大好きだし、

そこを通じてリアルに会った人にも、

会ったことない人にも、大好きな人が大勢います。

素敵な人たちと出会えたのはまさに、「マキコミ」のおかげです。

でも、それはあくまで「結果」。

 

安易に成果を求めずに、安直に成長できるなんて思わずに、

自分が楽しむこと、みんなと一緒に楽しむことに主眼を置いておけば、

「技術」だなんて大層なことを言わなくても、

「マキコミ(巻き込まれ)」は待ってるんじゃないですかね。

 

まずはエンジョイ。そして、疲れたら休む。それが一番だと思います。

 

 

今回、「マキコミの技術」に紅茶大会の体験談を提供したところ、

一部、献本をいただきました。

 

コグレさん、いしたにさん、担当編集者さん

素敵な本をありがとうございました。

ちなみに紅茶大会の体験談はp211欄外に小さく掲載されています。

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2010年

12月

19日

twitterって、楽しいけど疲れちゃうよね

twitterのタイムラインは自分の好みに染めやすい

・・・なんて話は今さらですが、

僕のタイムラインはやはり自分の趣味を反映して、

サッカー好き、スポーツ好き、紅茶好きな方がかなり多め。

 

もちろん、それはそれで楽しいし、

有益な話もいろいろ聞こえてきて、ありがたかったりもするのですが、

ちょっと「濃度」が濃くなるのは考えものだなぁなんてことも思ったりします。

 

先日、JFLのFC町田ゼルビアに前大分トリニータ監督の

ポポビッチさんが就任するというニュースが流れました。

 

ポポビッチ監督いえば、大分で魅力的なサッカーを披露していたことから、

サッカーファンには人気も評価も高い監督さん。

そんな方が実質国内三部リーグに所属する

町田ゼルビアの監督になったものだから、僕のTLでは大騒ぎです。

「どこにそんなお金が!」

「ゼルビア本気だ!!」

Z型マスコット以来の衝撃!!!」

などなど。冗談抜きに、何の事件が起きたのかと思うほど、

TLの流れる速さがグンと上がるほどでした。

 

内輪ネタがSNSの面白さ

って、サッカーに興味のない方は、このポポビッチさんの話を読んでも

「ふ〜〜〜〜〜ん」としか思いませんよね。

だって、J2より下部の三部リーグの監督さんですよ。

日本代表の監督でも何でもない。

このニュースを今まで知らなかった方もいるでしょう。

 

国内サッカーファンが国内サッカーファンだけで、

国内サッカーファンのための情報で大騒ぎしていたというのが

「ポポビッチ騒動」の真相です(・・・そんな大げさなものじゃないか)。

 

もちろん、それはすごく楽しいんですよ。

気の合う仲間同士が居酒屋で内輪ネタで盛り上がってる。そんな感じ。

サッカーだけじゃなく、紅茶の話だってなんだって

深い話題が通じる者が簡単に見つかって、それで会話が広がっていく。

それがtwitter、というかSNSの魅力ですもんね。

 

そんなわけない

でも、それって同時に、

つねに気をつけていなくちゃいけないことだと思うんです。

血が濃くなりすぎちゃうっていうんでしょうか。

だって、あの日は冗談抜きで日本中がポポビッチ就任を

話題にしているんじゃないかと思うほどでしたから。

 

でも、そんなわけないじゃないですか!

 

当たり前だけど、パソコンの前を離れれば、

ポポビッチさんのことなんて、誰も話題になんかしちゃいません。

この濃い空気に体が馴染みすぎちゃうと、世の中の人が

「面白いことを知らない可哀想な人」

に見えてきちゃいます。

 

でも、そんなわけないじゃないですか!

 

誰も↑みたいなことは思ってないと思うけど、

心の中で何かストレスになっていくことはありえるわけです。

また逆に、濃すぎるSNSの血液で

心の調子を崩しちゃうかもしれないわけです。

 

魅力もあるけど欠点もね

先日、「マキコミの技術」という本が出版されましたが、

SNSやブログで人を巻き込んでいくことで楽しいことはたくさんあります。

一方で、疲れちゃうこともたくさんあります。

 

同じメンツで同じ話題で同じ笑いと同じ共感。

twitterをなれ合いと嫌う人たち(含:2ちゃんねら)の嫌悪感も

この辺に原因があるのかなぁとは思います。

 

次にブログを書くときは、「マキコミの技術」のレビューを交えて、

SNSの魅力を考えてみたいなとは思いますが、

今日はSNSばっかりで世界を見た気になっちゃダメだよねという話でした。

 

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