2009年

9月

30日

皆の声が同じ大きさになる社会

昨日来、話題になった、鳩山首相についったーの存在が紹介されたことについて考えてみました。
もし、鳩山首相がついったーに参加すれば素晴らしいと思います。思いや気持ちを、どのぐらい率直につぶやけるのか心配もあるけれど、首相という雲の上のさらに上の雲ぐらいの場所にいて、この国を司っている方の心情がダイレクト(的)に伝わってくるのは、うれしいものです。

また僕たち一般ユーザーが@で飛ばしたメッセージに目を通してくれるかもしれない。それもうれしいですね。
首相アカウントが実現したら、それこそ膨大なメッセージが飛ばされてくるでしょうから、すべてに目を通すことは難しいかもしれないけれど、市民の思いが、これまた疑似ダイレクトに、首相まで届く可能性があるというのは画期的です。

でも、ちょっと心配事もあったりします。

声のデカイ人が嫌い

僕は、「声のデカイ人」が大嫌いです。単純に声量が豊かだということではなく、
面の皮が厚く、臆面もなく自分の欲求だけを、さも正論かのように偽装して主張する人。
議論になると、自分の経験しか寄る辺がないくせに、それが人間を形づくるための唯一無二の必須要素であるかのように信じる人。
他者の境遇にみじんも想像力を馳せることができない人。
そんな人が、僕の中では「声のデカイ人」というイメージで、大嫌いなのです。

で、今までの政治は、こうした声のデカイ人(質の悪い地方の土建屋さんや企業人、あるいは業界団体)たちの声しか拾ってくれませんでした。自民党の敗北は、そうした状況にガマンできなくなった市民の反乱だと僕は思っています。
今、ついったー上にいる多くの政治家の皆さんは、そうした声のデカイ人だけでなく、僕たち一般市民の声も拾おうと努力してくれています。
逢坂さんや藤末さん、あるいは先の選挙で落選してしまいましたが橋本さんなんかが、フォロー返ししてくれるのは、そうした「声を拾おう」とする姿勢なんだと、僕は理解しています。
きっと鳩山さんがアカウントを取得しても、同じことをしてくれるでしょう。もし、そうなればとてもうれしいことです。

でも、それで全市民の声が拾えるわけではないですよね。

僕ら自身が声のデカイ人になってしまう

全市民の声を拾うなんてことは、土台無理な話だし、それは首相や政治家の仕事ではなくて、役所や団体の仕事だと思います。
でも、ついったーユーザーだけが、「声が届く」とはしゃいで、ITリテラシーの低い人たちは置き去りにしてしまう。ついったーユーザーの声だけで、政治家の皆さんに「聞いた気分」にさせてしまうことは、ひょっとしたら危険なのではないか。僕ら自身が声のデカイ人になってしまうことはないでしょうか。

政治家の方や官邸スタッフの方は、耳を傾けるプロ中のプロだから、僕の心配など、杞憂に終わって、首相のついったーアカウントが実現したら、素晴らしいコミュニケーションが生まれるかもしれません。それはすごく楽しみです。

でも、それだけじゃ、社会は何も変わらないと思います。声のデカイ人が増えたって仕方ない。金持ちも貧乏人も、マジョリティもマイノリティも、声の大きさが同じになる。そしてみんながみんなのために、いろいろな声に耳を傾けることができる。
総理のついったーアカウント夢想の向こう側に、そんな社会が実現することを思い描いています。