インターネットはみんなにやさしいですか

インターネット便利ですよねー。

 

お芝居やサッカーのチケット買ったり、本を買ったり、いろんな人と交流したり、お店の予約を取ったり。あと、僕は公民館の予約もネットで取ったりするので、本当に便利。もうネットがない生活は考えられません。

 

だから、実家の両親なんかを見ていても、

「もっとネットを使えばいいのに・・・」

と思うわけですが、実際のところどうなんだろうなー。

 

「使えばいい」ってのは、もしかしたら強者の論理かもしれませんね。

買い物難民

今、地方には「買い物難民」と呼ばれる方が高齢者を中心に増えています。

このところの不況のあおりを受けて、不採算のスーパーが次々に閉店。近所に買い物のできる場所がなくなり、なおかつ自動車などの生活の足もない。日々の食事の材料を買うのも一苦労。そんな人たちが「買い物難民」です。

 

僕の義両親も近所にスーパーがなくなり、自動車を持っていないので、かなりそれに近い状態です。今は週に一度、訪れる生協の通販に頼っているみたい。

 

で、そんな人たちを見ると、「ネットスーパーの出番じゃん」とネット脳の僕はすぐに思うわけです。PCが難しければiPadでも注文できるじゃんって。

でも、マシンを起動して、ブラウザなり専用appを起ち上げ、目当てのお店へ行って商品を選び、カートの中身を確認し、決裁し、メールで再確認して商品の到着を待つ・・・。

この流れって、慣れてないと案外大変なんですよね。

 

もちろん「ちゃんと買えてるかな」という不安もあるんだけど、それだけじゃなくて、「ネットにつながらない」「なかなか表示されない」「どこに何が売っているのか分からない」「自分が今、どのフェーズにいるのか・・・」などなど。

 

僕らがネットに向き合って無意識のうちに軽々と越えているハードルの一つひとつに、彼らは多分正面がぶつかって倒れ込むわけです。

 

おばあちゃんと割引券

最近、「あれ」だと言われることの多いソフトバンクの「光の道」構想では、

「日本のどこの家庭でも、教育や医療の機会が得られるようになり、将来の教育や医療のあり方に革命が起こります。」

と、光インフラが普及した未来を虹色に描きます。

 

でも断言してもいいけど、今、どんなサービスが日本の隅々まで普及したって、絶対に高齢者は対応できません。

 

過疎地では、行政がタブレット端末を各戸に配布して行政情報などをフォローしていこうという話が出たり消えたりもしているなんて噂話を聞きますが、そこで大事なのは信じられないぐらい簡単なUIの実現とトラブル対応の態勢づくりです。

 

そして、簡単なUIを実現するのはもちろんまったく簡単なことではありません。

先日、ラーメン屋さんで割引券を手にしたおばあちゃんが、懸命に割り引き内容を店員に確認していました。割引券には

「ラーメン大盛り無料 または 味付けたまご半額」

と書いてあったようなのですが、「無料」と「半額」が頭の中で入り交じって、なかなかおばあちゃんは理解できません(店員さんの親身な対応で最後には理解しているようでした)。もちろん、そのおばあちゃんは、横から見ている限り、非常に元気で話す言葉はしっかりとした感じの方でした。ただ、人間、年を重ねていくと、嫌でも柔軟な理解力が損なわれてしまうものなのです。

 

これから「買い物難民」をなくし、スムーズにITインフラを整備していくためには、そんなおばあちゃんやおじいちゃんを基準に、彼らにも使えるもの。彼らが戸惑わないものを整備していかなくちゃいけないと思うんです。

 

OSだとかハードのスペックだとか通信技術だとか。そういうのは必要なんだけど、僕らが下水管のスペックに詳しくなくてもトイレが使えるように、別に表立って伝える必要のないこと。

それよりも本当に誰でも使えるやさしいインターネットが実現するといいなと思うわけです。

 

ちょっとした説明だけで、田舎のおばあちゃんも簡単に買い物ができることこそが、僕らの未来なんじゃないですかね。